空も仕事場「神田紺屋町」

伊藤 三平

広重の『名所江戸百景』の「神田紺屋町」の初摺りの作品である。ご覧のように保存の状態も非常に良いものであるが、マージン(余白分)が切られ、それを新たに補修して継ぎ足しているという欠点がある。上手な補修であるが、マージンにあるべき改印や版元印は当然になくなっている。
しかし、絵、版画を鑑賞する分には何の差し障りもない。

原画は筆者所蔵

1.江戸における産業の繁栄を称えた絵

この絵を観る人は、画面中央にある白の反物と、薄水色に二条の濃紺のぼかしで染められた反物群に眼が惹きつけられる。眼が惹きつけられると言うより、鮮やかな「白布」と「藍染め」の色と、その布が中央に堂々と垂れ下がっている構図に驚かせられると言った方が良い。
反物は、中央だけでなく、左右にも茶紫色、白と濃紺の市松模様、濃紺一色のものなどがあり、それらが中央の反物の引き立て役になりつつも、脇役としての存在感は十分に持っている。

この反物こそが、江戸名所の一つとして「神田紺屋町」の象徴なのである。

JR神田駅の近くに、今も神田紺屋町がある。ここは町名でわかるように染め物屋が軒を連ねていた。その染め物屋の物干し台(虎落=もがり)にたなびく、染められた反物の風情が江戸の風物詩だった。

中央に高くなびく白の反物と、薄水色に二条の濃紺のぼかしを入れた反物を良く観てみよう。
白の反物には布目摺りが施されている。布の質感まで版画で出そうとしているのだ。そして、そこに染められているのは、『名所江戸百景』の版元の魚屋栄吉こと魚栄からとった魚の字である。そしてもう一つの白い反物における菱形は広重のマーク(カタカナのヒとロを組み合わせたもの)なのである。

この文字、マークを染め上げている紺と、もう一つ印象的な二条の紺は、欧米の人がヒロシゲ・ブルーと名付けたベロリン藍の染料である。ここは紺でないといけない。なぜならば、ここは「神田紺屋町」なのである。

「神田紺屋町」の表題を書いた色紙(関防=かんぼう)が、朱の絞りの布のようになっている所も、地名を引き立てて、かつ魅力的である。

広重は、自然の風景とは違う、また寺院や城郭などの人間が創り出した名所旧跡の建物とも違う、町そのものの姿を江戸の名所として取り上げた。それは町が発展していたからに違いない。また町の産業が江戸に住む人に不可欠なものだったからである。

そういえば中景に、竹か材木かがたくさん立てかけてある景色が描かれている。竹の保管場所は、このシリーズにある「京橋竹がし(河岸)」にも取り上げられているが、江戸には不可欠な建築資材、調度品材料であり、江戸では、よく見かけた風景だったのである。

広重は、江戸の産業、特に空を仕事場、あるいは保管場所にしている産業の繁栄を描いたのだ。繁栄を描いたと言っても賑やかには描いていない。他の『名所江戸百景』の絵のように静かに描いている。

江戸の産業の中には浮世絵出版業も入っている。広重は、江戸の浮世絵出版業の繁栄ぶりをも、版元魚屋栄吉を表す「魚」の字と、作者広重の「ヒロ」のマークを紺屋町の紺で染め抜いて、空高くに旗のようになびかせる反物に誇らしげに描いているのだ。

左の反物の市松模様と、茶紫色のような反物の模様、紋も、当時の人が見たら、何かの意味を読みとれるものであったに違いない。摺り師や彫り師のマークであろうか。研究が進むとわかるかもしれない。

『名所江戸百景』のシリーズの中では、版元を意識させる絵として「深川木場」がある。この絵における前景の傘に「魚」の文字が描かれている。また「金杉橋芝浦」において、日蓮宗の信徒の掲げる旗(のぼり)に「魚」を入れている。

作者広重を意識させるようなものは、この絵だけである。そういう意味でも広重、魚屋栄吉は気合いが入っていたのではなかろうか。
この作者と版元の気合いは我々にも伝わり、ヘンリースミスは『広重 名所江戸百景』の装幀において、この絵を裏表紙に使用している。(表は「水道橋駿河台」)
そして私は購入してしまった。

2.絵の構図

例によって、極端な近景と遠景の組み合わせである。
近景の物干し台(虎落=もがり)とそれに干してある浴衣地。そして遠景にはお馴染みの江戸の町を俯瞰するような丹沢山塊と日本一の富士山。

この絵は北斎の『富嶽百景』の「紺屋町の不二」に影響を受けていると指摘されている。小島烏水が唱え、後の研究者の鈴木重三なども首肯しているが、私はそうは思わない。絵は下図のように違うし、誰でも絵にしたい風景は共通であり、美を感じるポイントはある程度は共通しているのである。それを影響と言ったら、きりがない。

北斎『富嶽百景』二編より

北斎は富士山を描く趣向として反物を描いた
のに、反物によって、富士山を隠している。

一方、広重は神田紺屋町の象徴として反物を
描いたが、富士山を目立たせているのはおも
しろい。

北斎の絵は、竿で反物をかけようとしている
動きが趣向であり、楽しい。

極端な近景と遠景の組み合わせという構図の絵は『名所江戸百景』には多いが、それらの絵と違う点は、描く対象が干されている反物という細長いものであり、縦絵の画面に比較的素直に溶け込んで、自然な効果を上げているところにある。
だから、極端な近景と遠景の組み合わせでも、他の絵のような意表をつくところはない。「なるほど」という感じである。

「なるほど」と言っても、そこは広重。やはり、広重らしく次のように凝った構図にしている。
鑑賞者は、まず高く、堂々と描かれた画面中央右の絵柄(反物と物干し台=虎落)に眼を惹きつけられる。
絵の右上部の朱の絞り地になっている「神田紺屋町」の表題を書いた色紙(関防=かんぼう)にも眼がいき、場所が頭に焼き付くわけだ。
そして、その堂々と空にたなびく反物の裾に従って、眼は左下に持っていかれる。そこに江戸の町が描かれている。もちろん、反物をたなびかせることで爽やかな秋風を表現している。
反物の紺の強烈な二条のぼかしも左下がりになっていて視線の移動を助けている。

江戸の町を観ると、そこに材木か竹という上方に伸びる絵柄が描かれている。それによって、今度は上方、遠方にある富士山に眼は引き寄せられる。
今度は、その富士山の山裾に従って左に眼を移そうとすると、また反物によって、眼は中ほどまで上がっていく。この反物の市松模様が印象的である。
富士山の上空に鳥が一羽。この鳥はどこに行こうとしているのか。

画面の中央右は、物干し台(虎落)の構造物と、濃い色の反物で締めている。

この同色の濃い色(茶紫色)の反物が両脇にあるところが何とも言えない”うまさ”である。(4章の図を使った説明を参照)

3.思い切り使った縦の線

この絵の中には縦の線が多用されている。反物は中央右の高いものが7枚、折られて掛けられているから、布の面は倍の14枚。画面左が3枚で、布の面は6枚、それに下部に水色の反物の布面が4枚、また別の市松模様の布面の一部も見えている。画面右の方にも10枚程度が掛けられているようだが、よくわからない。

反物ばかりではない。物干し台の柱にも縦の線が使われているし、江戸の町に竹か材木かが立てかけてあるものも縦の線である。縦長の画面を、多くの縦の線を使うことで、思う存分利用している。

これは近くで見ないとわからないが、縦の線は、版木の木目でも、細かく表現されている。バレンと版木が生み出す美しさである。

しかし、これだけ縦の線を使っても、絵は堅さと単調さを免れている。柔らかく風にたなびいている反物を配したり、強く印象に残る二条の濃紺のぼかしを斜めに入れているためであろう。また印象的な市松模様も効果的である。
このようにして、多くの縦の線を使っていることを気が付かせないのが広重の「うまさ」と思う。

4.色使い

前述したように、薄水色の空における白の反物は印象的である。この白が生きている。純白だ。純白に染めるのも技術がいるのだ。現在、衣料品製造業は中国や東ヨーロッパなどに圧されて不振を極めているが、当初は、これら地域では、なかなか白が綺麗にでなかったそうである。だから染色は日本、そして裁断、縫製だけをこれらの国々という分業が続いていた。

この純白の布にヒロシゲ・ブルー(ベロ藍)と欧米の人に絶賛されている紺色で、漢字、模様を染めている。さらに純白が引き立っている。

そして水色の反物は二条のヒロシゲ・ブルーのぼかしを大胆に入れて、神田紺屋町の「紺」を印象づけている。

この二条のぼかしが左斜め下に向けて入っているのもうまいと思う。三反の二条のぼかしが、前面にくるほど下の方にきて、遠近感を表している。

左の紺の市松模様もいい。何とも言えないアクセントである。

茶色に見える反物は、現物を見ると茶色と言うより茶紫みたいな色である。杉浦日向子の本に江戸のおしゃれの基本色は雀の色と読んだことがある。この茶色は雀の色である。当時の江戸っ子にとっては粋な色だったのかもしれない。

空の天ぼかしも赤茶紫色で、この反物と近い色である。この色は空の天ばかしが横一線なのに対して、画面の右と左で縦の線(反物)として支えている感じである。巧みな色使いである。

この茶紫色の支えがないところが、広い天空である。天空は例によって、天上の赤茶紫とそのぼかし、薄水色、それをぼかして無色(和紙の色)につなげ、ここを挟むように地上からの赤の気で描いている。(下図の説明参照)

赤の使い方も工夫している。右上の「名所江戸百景」の赤の短冊と色紙(関防=かんぼう)の朱の絞り地、それから右下の「広重画」の赤の短冊、それに地平から上がってくる赤気が、また別のアクセントをつけて心地良い。(下図の説明参照)

雑駁な説明だが、黒線で囲った赤紫、
茶紫がスカイブルーの空を囲んでいる
ことで、スカイブルーの空の奥行きが
広がって富士山までの空間を、うまく
表現していることがおわかりでしょう。

緑の線で囲った赤、朱の使い方も、い
いアクセントになっています。

これらの△形の交差する辺りのやや中
央右上部から、純白に濃紺が染められ
た反物が流れている。まるで空からの
滝のように見える。

こうして見ると赤紫、茶紫が岩のように
も見えてきた。
左の白と濃紺の市松模様は滝の水し
ぶきのようだ。

それから白雪を少し冠雪している薄灰色の富士山。秋の9月末から10月はじめであろうか。いつ見ても立派である。
その下に上部を濃くぼかした丹沢山塊。

濃い緑からぼかしを入れた江戸の木々。濃いぼかしを入れた灰色の江戸の町の屋根。茶色で下部に濃くぼかしを入れて安定感をだした木材、竹。江戸の町には布とは違う漆喰の土蔵も白く描かれている。

反物と反物の間の富士山があるところの空がいい。開放感が見事に出ている。
爽やかな秋の空である。空気は乾いている。乾燥させなくてはいけないものが、最適な気候のもとで干されている。少し秋風がある。広重は日本の画家である。そして気象条件を描くことでは世界有数の画家である。何気なく描いても、季節感が出てしまう。湿度までも表現できてしまう。

5.摺りの良さ、保存の良さ

この作品は非常に状態の良い初摺りである。ここに描かれている白布には、市松模様の布も含めて、布目摺り(版面の必要な部分に絹布を置き、紙をのせて上からバレンで強くあてて布目を出す)が用いられている。だから布の質感が感じられる。観るぶんにはわからない細かいこだわりである。これだけは身近に観られる所有者にしかわからない醍醐味である。

そして保存が良いために、純白の美しさが際だっている。

関防(かんぼう=色紙)は、前述したように布を扱う紺屋町という画題に合わせたのであろうか、絞り染め模様にしている。なかなか凝っている。

白い布にベロリン藍(ヒロシゲ・ブルー)で、二条のぼかしを左斜め下に入れている。これはデザイン的にも優れているし、布の柔らかさをだすのに効果的である。

ぼかしも前述したが、たくさん、丁寧に入っている。天空の赤茶紫の空、次の淡い水色、地と接するところからの赤。それから丹沢山塊の上部、中景の緑の木々、町の屋根、竹、材木の下部などである。

そして「名所江戸百景」と「広重画」の短冊型色枠の赤は2度以上摺られているせいか、濃い深紅となっている。これも初摺りの特徴である。
下の富士山の比較でもわかるが、地平の赤の発色は、この作品が抜群である。赤が退色しやすいのである。いかに保存状態の良い摺りであるかが理解できよう。

それから前述したが、版木の柾目もバレンによって、表現されている。こういう木目も意識して強く出す絵、出さない絵と区別していたのではなかろうか。そんな気がしている。

6.季節と富士山

武蔵小金井の鑑賞で分析した、私の所蔵する浮世絵における富士山コレクションが4枚になった。秋の富士山は初めてである。
そして神田紺屋町の富士山が、少し大きいことが理解できる。秋の澄んだ空では、遠景は大きく見えるのであろう。

両国回向院元柳橋 武蔵小金井 水道橋駿河台 神田紺屋町

名所江戸百景の「両国回向院元柳橋」は旧暦1月の初場所の頃の富士山である。
武蔵小金井」は桜の季節の富士山である。
水道橋駿河台」は鯉のぼりの季節の旧暦5月である。
神田紺屋町は爽やかな秋の季節、現代で言うと9月下旬から10月初旬頃であろうか。


表紙に戻る