華麗にして寂寥「武蔵小金井」

伊藤 三平

この浮世絵は、広重の死後(安政5年9月)に、蔦屋吉蔵の経営する紅英堂から出版された『富士三十六景』の一つ、「武蔵小金井」である。絵には安政5年4月の改印(検閲印)がある。

広重の「富士三十六景」シリーズは、死後出版ということで、以前はあまり高く評価されていなかったそうである。しかし、近年はこの絵のような良い絵があることから、評価されはじめている。

(注)『名所江戸百景』の中でも人気の高い「両国花火」の改印は安政5年8月である。描いた時期ではなく、出版された時期で評価が違うのは広重でも納得しがたいものがあろう。ただし、死後の出版では、広重自身が刷り上がったものをチェックできないという面はある。

原画は筆者所蔵

1.絵の構図

まず、構図に驚かされる。見ていただいてわかるように、広重晩年の縦絵のシリーズに出現する構図であり、極端な近景と遠景の組み合わせである。
これだけでは驚かないが、主役の富士山が、近景の桜老大木の虚(うろ)の中から顔を出しているのである。

この絵を前にすると、この桜の前に立っている自分に気づく。
そして少し背伸びして虚(うろ)を覗いてみる。すると富士山が見えるではないか。桜の花も見え、この虚(うろ)の狭い空間に、日本の象徴が描き尽くされている。
背伸びを戻して、下に視線を移し、下の虚(うろ)を覗くと、玉川上水の清水の流れ。
眼だけではない。耳にも玉川上水の水の流れと、鳥のさえずりも聞こえてくる。花見客の歓声も遠くから幽かに聞こえてくる。
このように臨場感を感じさせてしまうのが広重の腕である。

北斎の『富岳三十六景』の1枚「尾州不二見原」に桶屋が修理している桶の中に富士山が覗かれるものある。広重は、これから想を得たのかもしれない。
もっとも、このような構図が北斎の独創であったわけではないようだ。北斎自身も当時の人に「北斎はとかく人の真似をなす」(『武江年表補正略』より)と批判されている。
このような構図の発想の元になる美意識が、江戸時代人には普遍のものだったのかもしれない。

2.絵から受ける印象

題材は日本人が大好きな「富士山」と「桜」というように華麗である。
しかし、華麗だからといってにぎやかな感じはしない。むしろ寂寥感(せきりょうかん)を感じる。寂寥感ばかりでなく、”凄み”と言えるようなものも感じる。これは何故だろうか。

近景の桜は、年月を経た老大木である。虚(うろ)が上下に開いていて、今にも枯れそうである。だけど、この老樹は頑張って、今年も美しい桜を咲かせている。この老木から咲く桜は、慎ましく、しかも丁寧に描かれている。

そして画面の中央には、先端が折れた桜がある。この樹からも桜花は咲いている。いずれにしても、これら桜樹の寿命は尽きようとしている。これが寂寥感を感じさせる一因である。

この絵を描いて、しばらくして広重はコレラで逝去する。広重は自分の寿命が尽きることを感じていたのだと思う。もっとも流行り病での逝去だから、この絵を描いていた時に、気力が衰えていたわけではない。『名所江戸百景』の中でも人気の高い「両国花火」は、この絵より後の改印(安政5年8月)である。ただ「両国花火」も物悲しい雰囲気を持つ名作である。

先端が折れた桜は広重の墓標なのであろうか。「富士山」と「桜」と「清流」の地は、風景画家広重の墓標にふさわしい場所のようだ。

あるいは一つの時代の終焉を無意識に描いているのだと思う。一つの時代とは江戸時代である。明治の足音は、もうすぐである。

私が感じる”凄み”の、もう一つは、浮世絵の一つの側面である絵を購入してくれる人への配慮がない点にあるのではなかろうか。お客様に媚びていないと言った方がいい。もっと良く言えば「売り絵」的な要素がないことだ。悪く言うと、拒絶しているような感じである。

もっとも、私は、当初、桜老樹の虚(うろ)から覗く富士山に、広重のサービス精神を感じていた。広重自身も、それを意識したのかもしれないが、できあがった絵の印象は、見る人を楽しませる気分にはさせない。不思議な絵である。

3.絵の鑑賞

絵をゆっくりと観ていきたい。

頂(いただき)を桜老樹の虚(うろ)から覗かせている富士山は、だいぶ雪が解けて、その稜線は地肌をむき出しにしている。そして、この地肌を、下を濃く、上部に行くほど丁寧にぼかしを入れて薄く描いている。下が濃色であるから富士山はどっしりと安定している。

虚(うろ)から覗こうが、どこから望もうが、富士は日本一の秀麗な山だ。

先端が折れた桜の後ろに、桜並木が玉川上水沿いに連なっている。その上空に、近景の桜と、遠景の桜に囲まれてツバメのような鳥を3羽描いている。この桜並木は白と淡いピンクを混ぜている。所々に淡いピンクを入れているとも言える。これがフワッとした桜の雲を表現している。白、あるいは淡いピンクの一色では、このようなふくらみは出てこない。

玉川上水は中央から左下に、右にふくらんで蛇行して流れている。川幅は左下に行くほど広がっている。川面の水面も遠くは淡く、近くになるほど濃い青として自然である。豊かな水量をたたえて流れている。

玉川上水の土手は、しっかりと描いている。濃い緑の草に覆われ、ぼかしを入れて緑色の濃度を減じながら水面に近づけている。土手の左の方には深い緑の森が見える。
土手の地肌には焦茶色と黄土色を使い、それぞれぼかしが入っている。下部の色が濃い色である。

そして緑の中に、赤い花が咲いている。小金井市のホームページの説明によると、この花は「草ぼけ(シドミ)」とのこと。

この土手の上に、小さく花見客の人影が描かれている。この画面では識別しにくいが、かすかな人の気配である。にぎやかなはずの花見客が微かな気配となっているところにも、寂寥感があらわれている。

空の天空は、濃いヒロシゲ・ブルーの異名を持つベロリン藍で染めている。そしてぼかしを入れて空色、またぼかしをいれて無地の白い空につなげている。そして夕焼けであろうか、ぼかしが入った赤い空が地平を染めている。

手前の虚(うろ)のある桜の樹肌は、このように横にしわが入るものである。灰茶色の濃淡で摺り分けている。そこに老樹らしく、緑で苔を配している。
そして桜の木の右側にはやや明るい赤茶色のぼかしを全面に入れている。これは、陽の光に照らされている様を描いているのであろう。

4.早い動き=時代の流れ

この絵の中で、動くものを観ていただきたい。玉川上水の流れと、3羽の鳥である。

これらは、動きが早い。

飛んでいる鳥は、姿と、背中が黒くて腹が白い色からツバメと思う。この季節にしては早いから別の鳥なのかもしれないが、ゆったりと飛んでいるようには見えない。近景の老樹の桜と遠景の桜並木の桜の間を、颯爽と飛び回っている。

そして、玉川上水の水の流れも速い。これは、のどかに流れる小川ではない。

これが落ち着かない印象を与える。寂寥感と落ち着きのなさを感じさせる点から、この絵を観る人の中には安らぎを感じない人もいると思う。これが広重の狙いなのだ。広重は絵を観る私に、落ち着かせたくないのである。

そうだ、時代は急速に動いているのだ。盤石と思えた江戸幕府の崩壊は10年後である。

虚(うろ)の開いた桜老樹、先端の折れた桜樹で、無意識に表現されている江戸幕府が終末の花を咲かせているのだ。これが寂寥感の正体だ。

近景の桜老樹の右側の赤茶色のぼかしは、夕陽の残照と思われるが、江戸の華の残照でもあるのだ。でも寂しいばかりではない。
草の中の赤い花が次代に芽として育っているのだ。
古い因循な体質を洗い流すような玉川上水の流れも、次代に希望をつなぐ。
そして老樹が倒れても、新しい桜木が美しい花を咲かせるのだ。

そういえば、この絵に見る玉川上水の流れは、川幅の広い下の方に流れているはずだが、逆に流れているようにも見える。若い桜の木々が咲いている方ー私の表現で言えば次代ーに流れているように見える。

<参考:不二三十六景の武蔵小金井>

広重は嘉永5年に不二三十六景を描いている。この中に「武蔵小金井堤」があるが、実見する機会を得た。

この絵を見ていただきたい。虚(うろ)のある桜老樹が描かれている。そればかりか、遠景には先端の折れた桜樹まで描かれているのである。実際の風景だったようだ。
ただし、この図における老樹の虚(うろ)から富士山を覗くようにすると、先端が折れた老樹は左側にくることになる。縦絵の富士三十六景では老樹は右の方に描かれているから、構図は色々と変化させていると考えたい。(03.11.11)

5.摺りの良さ

『富士三十六景』には、これが初摺りのシリーズだという定本はないようだが、この絵の摺りは、浦上美術館の所蔵品や、『広重ベスト百景』(赤瀬川原平著)に所載されているものに比較しても優れていると思う。

落款の短冊型色枠やタイトルを書いた色紙(関防=かんぼう)にまったく隙間も観られない(後摺りになると版木の摩耗で、わずかずつ白い隙間が拡大していく)、そして各種の色使い、ぼかしなども丁寧である。そして色の濃淡にメリハリが利いている。

これまで見た摺りより良い点を一つあげておきたい。

近景の老樹に咲いている桜を白く刷りだしているが、この白い桜を浮き出させるためには、背景の水色が大切になる。この1枚は、他の摺りよりも、水色部分が下方まで広がり、この桜をくっきりとさせている。

6.「武蔵小金井」の評価

「富士三十六景」の中では、「薩多の海上」、「甲斐大月の原」、「さがみ川」などが人気である。私は、この「武蔵小金井」が一番良いと思うが、これには各人の好みもあるだろう。

赤瀬川原平は『広重ベスト百景』として、広重作品から、良いと思う絵を100枚選び、「絶景」「雨景」「夜景」「吹景」「斜景」などと分類して、それぞれのジャンルで1位から3位までの順位をつけている。
この「武蔵小金井」は、「富士・花見」の部で第1位に選び、次のようなコメントをしている。

「ほとんどが理想の桜の景色。清水の流れの少々場違いなスピード感が、桜の魅力の意外な一面を見せているようだ。爽やかな空気を胸一杯に吸い込みながら、ふと見る手前の桜の幹にうろが空き、何とその向こうに富士山の頭が。え、そこまでやるか、と広重の構図に目が覚めて、そのいたずら心に思わずにんまりしてしまう。」(『広重ベスト百景』より)(03.5.25追記)

7.富士山の季節別の比較

たまたま私の所蔵する浮世絵4枚の内、この絵も含めて3枚に富士山が描かれている。自分自身で意識していなかったが、私は富士山が好きなのかもしれない。いや、私に限らず日本人ならば誰でも富士山が好きなのである。そう、桜も大好きなのだ。

ご覧ください。季節に合わせて、富士山の雪の状況が変化しているでしょう。

両国回向院元柳橋 武蔵小金井 水道橋駿河台

名所江戸百景の「両国回向院元柳橋」は旧暦1月の初場所の頃の富士山である。
「武蔵小金井」は桜の季節の富士山である。
水道橋駿河台」は鯉のぼりの季節の旧暦5月である。

たまたま私の所蔵する広重の浮世絵の富士山は、地肌の色も違うことに気がついた。
爽やかな水色の「両国回向院元柳橋」。朝日に映えている。
より写実的な岩肌の「武蔵小金井」。
薄い灰色で平面的に描いた「水道橋駿河台」。

前述したように、自分の印象を観ながら分析していくのも楽しいし、このように細かいところに入り込んで、発見しながら鑑賞するのも、また楽しい。


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