高く、広い江戸の空に一番太鼓。「両国回向院元柳橋」

伊藤 三平

これは『名所江戸百景』の中の「両国回向院元柳橋」(りょうごくえこういんもとやなぎばし)である。近景の櫓(やぐら)は年2回の両国回向院での相撲興行時に組まれた櫓である。

原画は筆者所蔵

1.絵の鑑賞

この絵の魅力の一つは江戸の空の「広さ」と「高さ」を、しみじみと感じさせる点にある。
大きな空である。
深い空である。

絵の最上部の天空は濃紺の空である。宇宙につながる空の色である。まさに”青天井”である。
”青天井”とは「モノの値段や数値が無制限に上がること」の意味であるが、それを思い起こさせるような藍色の空である。画面をはみ出して、さらに上へ、我々の視線を持っていく。

その下から「ぼかし」を入れて、スカイブルーの空につなげている。
冬の空である。快晴で空気が澄んでいる様子までわかるようだ。その下部にも「ぼかし」を入れて、次の白い空につなげている。色をだんだんと薄くして広く、大きく、高く、深い天を軽やかなものにしている。そうなのだ。空気は軽いのだ。

白い空と言っても、白ではない。和紙の色をそのまま残しているから無色という意識だったのかもしれない。ここを無色にしている為に、画面の奥への広がりを感じるのは私だけであろうか。

この絵は現実の景色を2次元に閉じこめた絵ではない。現実と同じように3次元空間にある景色を広重は表現しようとして、しかも成功したのである。

空は平面を突き破って、画面の奥、富士山の先まで続いている。

そして、いよいよ空は地平線に接する。その地平線にある朱色は昇ってきた太陽の光が地に差し、反射したさまを表現している。そしてこの朱色の空からも「ぼかし」が上空に掃き上げてある。この朱色の「ぼかし」は、地から上がってくる「気」と太陽の「気」をあらわしている。

これと、天空からの「気」でもあるスカイブルーの「ぼかし」が相俟って、これらの「ぼかし」に挟まれた無色の空の広がり、奥行きの深さを表現するのに一層の効果を上げている。

そこに、日の本一の富士山が鎮座している。富士山は風水学では日本の中心である。この絵では、それを裏付けるように、天の「気」と地の「気」と太陽の「気」が富士山に集まっているさまを描いている。

朝日に白く輝く富士山は、まだまだ雪が多い季節を表している。富士山は下に灰色に横たわる丹沢山塊を従えている。この丹沢山塊がはっきりと見えるのは空気が澄んでいる証拠である。

富士山は必要以上に画面では主張していない。静かな存在感を示している。自分はこの絵の主役ではないと言っているようだ。だけど富士山の存在感は大きい。そういう山なのだ。富士山は。

丹沢山塊の下には江戸の町並みである。屋根しか見えないが人家、人家が連なっている。木々も多い。この絵は名所江戸百景のシリーズの1枚であり、当然、広重は江戸の町を書いているのである。

そして大川(隅田川)である。大川の流れはゆったりと、とうとうと流れている。川面の両岸に藍色で表現し、「ぼかし」を入れて、中央の水色につなげている。他の名所江戸百景の初摺りでは、川の中央に藍色を太く入れていることが多い。川の深さを表現している。ここでは広重は、両岸に藍色を入れて、中央を薄い青色(水色)にすることで、川の「広さ」を表現したのだと思う。

川という水の景色を入れることで、乾いた冬景色に水分を補給して、少しウエットな雰囲気にしているように感じる。

川では江戸の生活が始まっている。2艘の船は帆をあげている。船頭が棹さしている船もいる。今は朝だが、これから、この大川にも数多くの船が行き来するに違いない。それを暗示している。

大川のこちら側の岸は両国である。江戸の中心から見れば、こちら側は川向こうであるが、これだけ人家が密集しているのだ。また木々も多い。江戸は川向こうにも続いていて「広い」のだ。

写真ではわからないが、こちら側の岸の人家の屋根には「雲母摺り」(きらずり)が施されている。朝日に屋根が照らされているのを表現しているようだ。また木々は緑が濃い。

対岸の江戸の町は黒と灰色の階調で表現しているのに対比して、こちら側の江戸の町は「雲母摺り」を使ったり、緑を使って生き生きと表現している。広重は対岸の「夜」とこちら岸の「朝」を対比させることで、夜から朝に移り変わる冬の曙を表現したのであろうか。

対岸とは言葉を換えれば彼岸(ひがん)である。こちら岸とは此岸(しがん)である。大川が三途の川であれば、黒と灰色の階調での対岸は彼岸の「死」で、「雲母摺り」や緑を使った此岸が「生」と言うことになる。
『名所江戸百景』は、広重の絶筆(死後、『富士三十六景』が刊行)であり、無意識の中で、彼岸の「死」と此岸の「生」を描き分けたのではなかろうか。ちなみに、相撲が開催され、この絵の画題にもなっている回向院とは、明暦の大火でなくなった多数の焼死者を弔った寺でもある。

生き生きと描いている岸から、この絵の主役である両国回向院境内に建てられた相撲の櫓が「広い」、「高い」天に向かってそびえている。そして高い櫓の上から、竹竿の先の「出し幣(だしっぺい)」と呼ばれる御幣がさらに突き出ている。あくまで「高い」である。だけど空は果てしない「高さ」である。

この絵では広重は江戸の町を「広く」「広く」、「高く」「高く」表現したかったに違いない。

当時は、現在以上に相撲は人気があったことは言うまでもない。その相撲が始まっているのだ。江戸の町の人々は浮かれていた。その熱気が、「広く」「高い」江戸の町の冷気を暖かくしているようだ。

ヘンリー・スミスは名著『広重 名所江戸百景』の中で「早朝の一番太鼓の調子の良い響きは、とうに市中に届いたはずである。熱心な相撲ファンは、やぐら下の境内に三々五々参集しはじめているだろう。」と記しているが、私は、これから一番太鼓を叩くのだと思う。この絵の櫓にも、幔幕にも、太鼓にも柔らかな緊張感が漂っている。

澄んだ空気に乗って、櫓の上から一番太鼓はこれから打たれる。彼岸の江戸の町にも「広く」「高く」届くだろう。櫓太鼓の音色は空気を引き裂くのではない。あくまでも空気に乗って行くのだと思う。そのように思わせる優しさを感じる。

絵の右肩の位置にあって、絵の画題を書いてある色紙を関防(かんぼう)と呼ぶ。名所江戸百景の特に初摺りの場合、この関防が凝っているのが多い。ここでも三色に「ぼかし」を入れて摺り分けられている。ここにおける紅と黄緑(萌葱色)が、華やぎとぬくもりを引き出している面もあることも付けくわえておきたい。

2.相撲の櫓

日本相撲協会のホームページによると、櫓の上で櫓太鼓を叩くのは呼出しだそうだ。現在では、朝の相撲が始まるのを知らせる「寄せ太鼓」(「一番太鼓」)(朝8時から30分間)と、明日の来場を願って取組終了後に叩く「跳ね太鼓」(千秋楽を除く)の2回だけとのことである。

当時は、檜の丸太を縄で組んで櫓を造っており、高さは16bほどだったと伝える。櫓を高くするのは、太鼓の音を隅田川の水面に反響させ、川風に乗せて遠くまで聞こえるようにしたという理由があるそうである。

櫓の上に突き出た二本の竹竿から下がっている麻の御幣を「出し幣(だしっぺい)」と言う。これは相撲が行われている間、晴天が続くよう願うもので、屋内興行となった現在も出しているとのことである。(ヘンリー・スミスは『広重 名所江戸百景』の中で「白地の「梵天」(ぼんてん)が掲げられているから、本日は晴天興行であることがわかる。」と解説しているが、私は相撲協会の解説を取る。

3.構図の面白さ

(1)極端な近景の配置

この絵の構図は、名所江戸百景に多く見られる極端に大きい近景と遠景の組み合わせである。人の目の意表をつく面白さがある。

また近景も、櫓や櫓太鼓のように全景を出さずに、一部を隠す構図を取っている。これも名所江戸百景には時々見られる工夫で、絵を見る人を刺激する。

その他に、どのような工夫があるのだろうか。もう一度、この絵を見てみよう。

(2)白い三角形の使い方

この絵の中の白い三角形に注目してみたい。画面の上から、次のように連なる。

天空には相撲のやぐらから突き出た竹竿から白い三角形に垂れ下がった「出し幣(だしっぺい)」である。ぶら下がっているから安定していないはずだが、今のところは冬の季節風は吹いていないようだ。ただ底辺が短い鋭角三角形がぶらさがっているだけだから、何かの拍子に動き易いことは間違いがない。”安定”から”動”へ向かう三角形だ。

そして画面左にある櫓の幔幕が2つの三角形を形作っている。下向きの直角三角形で安定しない形であるが、一辺が、すべて櫓に固定されていて、それなりに安定している。風で幔幕がはためくぐらいの動きを伴う”不安定”に見えるが”不動”の三角形だ。

次ぎに富士山の白い三角形である。これは底辺が長く、どっしりした鈍角三角形である。”安定”してかつ”不動”の三角形だ。

それから大川に浮かぶ船が2艘、逆三角形の白い帆を見せている。逆三角形だから安定感はない。その分、川面(かわも)に浮かんで、航行しているという”動き”をうまく表現している。すなわち”不安定”で常に”動き”のある三角形だ。

その他、白ではないが、櫓の丸太が形作る正確な三角形の組み合わせが、上へ向かう動きを見せながら、何本もの横桟によって、どっしりと安定感を見せている。

三角形の違いの特徴が、うまく事物の特性に当てはまっている。広重の天性の才能だと思う。本当に『名所江戸百景』はすばらしい。

(3)濃淡の色の帯の使い方

もう一つ、言及したい。それは、画面の上から下に連なる帯状の色の組み合わせである。

最上部は、濃紺(藍)の天空の帯である。
次いで、スカイブルーの空の帯。
それから和紙の色をそのまま生かした無色の空の帯。
空の最後に太陽の反射を受けた朱色の帯である。

地上部に移る。
丹沢山塊のグレーの帯。
遠景の木々は茶も入ったチャコールグレーの細い帯。
遠景の人家のグレーの細い帯。
対岸の人家のダークグレーの帯。
そして対岸の川岸が、またグレーの帯である。

大川も前述したように、
対岸寄りの藍色の水の帯。
川の中央の水色の水の帯。
こちら岸寄りの藍色の水の帯。

こちら岸に上がると、
「雲母摺り」を施した屋根のダークグレーの帯となる。

まとめて上から順序よく記すと次のようになる。帯の太い、短いの面積まで加味すると天性のセンスだなと感ずる。

濃(天空の藍色)→淡(スカイブルー)→極淡(和紙色)→淡(朱色)→淡(丹沢のグレー)→濃(遠景の木々の濃灰茶色)→淡(遠景の家並みのグレー)→濃(人家のダークグレー)→淡(岸辺のグレー)→濃(向こう岸寄りの川の藍色)→淡(川面中央の水色)→濃(こちら岸寄りの川の藍色)→濃(屋根のダークグレー、ただし雲母摺り)

4.摺り

この摺りは、初摺りと言われているものと同じである。ブルックリン美術館の所蔵品と比較して欲しい。

『広重 名所江戸百景』よりブル
ックリン美術館蔵(初摺り)
原画は筆者所蔵

初摺りの特徴として、浦上美術館のサイトによると@関防(画題の色紙)が赤、緑の「ぼかし」で摺られていること、A近景の屋根に施された雲母摺りが上げられている。この絵は、この特徴に合致する。
また「ぼかし」の箇所と数も同一である。(状態がいいことで名高い広瀬本の摺りでは、大川の中央に細くベロリン藍の線があるが、他の初摺りと呼ばれているものは、皆ブルックリン美術館のと同様である。広瀬本のが”特摺り”と呼ぶものなのかもしれない)

ただ、ここで直ちに初摺りと断定しないのは、浮世絵商が「初摺りの場合、「名所江戸百景」と「広重画」とある2つの短冊の赤が、もう少し濃いのではないか。初摺りの場合は、この短冊の赤を2度摺りしており、褪色があったとしても、もう少し残っているのではないか」と述べていることを考慮した為である。

私は、これは、保存が悪かったためか、あるいは水でもかぶったかして、褪色した為と判断している。(空における朱の「ぼかし」部分の面積が少ないことも考え併せると、全体に朱の色が飛んでいることが理解できよう。)

浮世絵の中でも赤は褪色しやすいのである。浮世絵では、紅:紅花、朱:酸化水銀、紅殻(ベンガラ):酸化第二鉄(赤錆)などが染料のようである。

なお天空や、大川の両岸の川面に使用した藍色は、有名な「ベロリン藍(あるいはベロ藍)」と呼ばれる染料である。オランダ渡来の鮮やかな青色顔料で、従来の藍色染料に比べて格段に安価で、色が美しい為に、江戸末期に多く使われるようになっている。外国では”Hiroshige Blue"とも呼ばれている。
北斎の『冨嶽三十六景』でも多用され、「藍摺(あいずり)」とも言われている。褪色に強い顔料である。


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