26 日阪 (Nissaka)
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さ夜の中山

江戸から55里、日阪宿手前の佐夜ノ中山で、「命なりわずかの笠の下涼ミ」と詠んだ頃の芭蕉はまだ33歳で若かった。命なりの初五文字は、西行の詠んだ和歌の「…命なりけりさ夜の中山」に由来する。芭蕉は伊賀上野の人で、29歳頃に江戸へ出て、以降は盛んに東海道を上下する。「東海道の一筋も知らぬほどの人は共に風雅を語るに値せず」とまで過激に言い切っている。旅へ出ないと句想の湧かぬ人であったかと思われる。


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