台ノ涼風
この海岸は幕末の日米修好通商条約で1858年に開港されるはずだった。しかし東海道に近すぎて危険と考えた幕閣が、直前に開港地を、この図のずっと奥のほうにあった一寒村の横浜へ急きょ変更。この図はその約20年前の景色で、高台から変化に富んだ海を見下ろせる景勝地だ。ベランダのある高級茶屋に比べ、粗末なよしず掛け茶屋で憩う人の姿へ海風が吹き通っている。祖父へ近寄りに歩む孫の手にデンデン太鼓も見える。