安定と不安定「さがみ川」

伊藤 三平

久しぶりに浮世絵を購入した。私の好きな「名所江戸百景」の初摺は、欧米のコレクターの影響で価格が高騰して、価格に対する意識を変えないと買えなくなって戸惑っている。
この浮世絵は広重の『富士三十六景』の一つの「さがみ川」である。このシリーズはコレラで急逝した広重の死後(安政5年9月)出版で、広重の下絵を彫師が彫って作成した墨摺りに、広重自身で色指定ができていないとして、これまであまり人気が無かったシリーズであるが、この絵のように良い絵もある。私は、このシリーズでは「武蔵小金井」を所有している。

原画は筆者所蔵

魅力的な風景画の1枚だと思う。赤瀬川原平の『広重ベスト百景』の中でも「富士見・花見」の項の1枚として選んでいる。
『謎解き浮世絵叢書 歌川広重 富士三十六景』では、富士三十六景を取り上げているが、この絵を「後ろ向きの筏師や細く立ち上る煙による静寂さの表現は広重の独擅場で『富士三十六景』を代表する一図といってよいでしょう」と高く評価している。

この絵はゴッホの「タンギー爺さん」の絵の中で、その背景に掲げられている浮世絵の1枚でもある。「タンギー爺さん」の絵は2枚あり、その内の1枚において、爺さんの顔に隠れている富士山の浮世絵が、この絵とされている。ゴッホが特に惚れ込んだ浮世絵という訳でもなく、背景に使ったOne of themと思うが、印象に残ったことは間違いがないだろう。


この絵の面白いところは、「安定」と「不安定」のせめぎ合いにある。こう書くとわからない人も多いだろうが、まず「安定」を説明する。

絵の中には二等辺三角形がたくさんある。富士山の三角形が大きく、最も遠景に鎮座する。その右前にある山は大山で、大きいが少しなだらかな三角形である。いずれも信仰の山だ。


それから近景に目を転じると、筏の上で火を覆っている囲いが三角形だ。筏の上の三角形の囲いは、近景の筏の上だけでなく、遠景の筏の上にもある。
そして、もう一つが、近景の筏を操っている人物が被っている笠である。これが一番なだらかな三角形だ。

筏の上の三角形だけが少し鋭角であるが、他の三角形は下辺が安定している三角形だ。これが「安定感」を醸し出している。

では、この絵が安定している構図だらけかと言うと、そうでもない。次ぎに「不安定」について言及したい。

絵のほぼど真ん中に立ち上る煙はゆらゆらと天に達している。これが絵の真ん中にあって、安定した構図にゆらぎを与えている。

そして二番目の不安定要素は手前の筏である。これは川面に浮かんでいるのだ。そして筏を操る人物も、少し緊張している感じで視線を向こう側に投げかけている。
遠景の筏は水平線に配しているが、手前の筏は、右上から左下の斜めに配置している。斜めの分、不安定だ。

遠景の芦は川幅・川筋に合わせて、水平ではなく、蛇行して(あるいは段差を持って)描いている。下部の緑は濃い色にして川に密着させている感じだが、近景の芦は水面から天高く思い切り伸ばしている。富士山よりも高い。そして葉も思い思いに鋭く伸びている。

白鷺を手前に大きく一羽、遠景に小さく二羽飛ばしている。手前の白鷺は川面に餌の小魚を求めて降りてきたのだろうか。

その川面には、波を表す三角波が描かれている。もちろん波は高くなく、穏やかで「安定」しているようだが、波であり、当然に不安定の要素を持っている。

安定している富士山と大山も、下部には黄色の雲を配置して、下を薄くぼかして、安定感を薄めている。筏の上の焚き火の覆いの三角形の下も、不安定な筏の上である。

このように「安定」と「不安定」がせめぎ合っているが、私は「不安定」の要素の方が勝っていると感じる。これが生き生きとした生活感が出ているように感じる。

この絵をじっと観ていると、この絵の真ん中に立ち上る煙は黒船の蒸気機関からの煙とも思えてくる。そして太平の眠りを醒ます蒸気船によって安定していた日本=幕藩体制(富士山と大山に象徴される)が揺らいでいるような状況とも思えてくる。
私は広重の『名所江戸百景』の「水道橋駿河台」でも、画面近景の大きな鯉のぼりは黒船ではないかと感じたが、時代背景を意識しすぎなのであろうか。

ペリー来航は嘉永6年(1853)だ。この絵が描かれた安政5年(1858)の5年前である。安政2年(1855)には江戸で安政江戸大地震が起きて、江戸の町も地盤から不安定になったのだ。安政5年からは安政の大獄も始まる。世の中は不安定に向かっているのだ。

芦は茂って、天高く伸びているが、当てにならない強さ=折れやすいものだ。幕府を守るという諸侯なのか、それとも旗本八万旗なのか、あるいは日本を異人から守るという攘夷の人々なのであろうか。当てにならない強さに守られているだけだ。

筏を操る船頭は、この国の指導者を暗示しているのだろうか。顔は後ろ向きであり、その表情はわからない。舵取りに慣れていて、安心できるような、それでいて緊張感を抱かせる。

この絵の季節が難題だ。富士山の冠雪具合から盛夏や真冬でないことがわかる。白鷺がいるが、この季語は夏で、陰暦だとの4月、5月、6月である。一方、筏の上の火を焚き火ととらえれば冬の季語である。筏の焚き火は暖を取るためではなく、食事の為かとも思ったが、食事を筏の上でしたければおにぎりでも良いのだ。だから暖を取る為だろう。それにしては筏師の服装は、寒い時期のものではないから、早朝なのであろうか。

芦に注目すると「葦茂る」は夏の季語だが、描かれている芦は枯れてはいないが、茂るというほどでもない。

こういうことだから、正直なところ、よくわからないのだが、何となく初夏の感じもする。識者のご意見を参考にしたい。

『富士三十六景』には、これが初摺りのシリーズだという定本はないようだが、『謎解き浮世絵叢書 歌川広重 富士三十六景』は町田市立国際版画美術館の所蔵品が出ていて、これが比較的摺りの良いものと評価されている。

私の所蔵品は、この本に所載のものに比較しても遜色はなく、立ち昇る煙に施された茶色(橙にも見える)のぼかしは、私の方が丁寧で多い。


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