浮世絵、特に広重の素晴らしさ

『広重 江戸名所百景』(ヘンリー・スミス著)より、原画はブルックリン美術館所蔵

「大橋安宅の夕立」を観て

雨が右上から左下に斜めに描かれているが、よく見ると黒い雨と、灰色の雨に描き分けられて、しかも、その角度が微妙に違う。だから深みがある。

対岸は画面に水平ではなく、右下に下がっている。橋はカーブをつけて、逆に右上に上がっている。だから真ん中の右側にそれぞれの線が集まっている。それが奥行きに深みを与えている。

船は川岸にほぼ並行に右下に向かっている。向かうことで、線の集中を強め、視線を真ん中右側に集めている。これも一つの遠近法か。

この絵で水平なのは、空の雲だけだが、ぼかしが入っているだけに動きを感じる。直ぐに止むかもしれない夕立をうまく表している。

橋桁はしっかりと描かれている。がっちりした見事な技術に裏打ちされた橋桁が、慌ただしい絵の雰囲気を鎮めてくれる。その一方で、安定感を高めている分だけ、周囲の動きを強めている。

色の明暗・濃淡の調子も、この絵になんともいえないリズムを生んでいる。上から順に、夕立雲の黒のぼかし、次に薄い紺色の雨空を、そして彼岸の灰色のぼかし、続いて雨が落ちて波立っている川面を少し明るい灰水色で描き、そこにしっかりした橋色(そこにもぼかしで明暗)、橋の下の川は濃い紺のぼかしで橋の影になった水面を見せている。橋桁の色も当然に暗い。

逃げまどう橋の上の人物も、それぞれの方向に動きを作っている。

見る人の心に、何とも言えない驚きを与える名作である。

私は刀剣、刀装具を愛好しているが、あるデパートで、並べられていた浮世絵を見て以来、浮世絵も素晴らしいと思うようになった。

あとで、その時に拝見した浮世絵は、浮世絵師安藤(歌川)広重の『江戸名所百景』シリーズの「大はしあたけの夕立」(左図参照)であることを知った。

私が感動したのも無理はない。この図は広重の最高傑作の1枚とされているもので、ゴッホにも、同じシリーズの「亀戸梅屋敷」とともに、模写した油彩が残されている。

美術品は何でもそうだと思うが、名品は「うまい」「上手」「よく描けている」「美しい」などの感想ではなく、むしろ「驚き」「感動」をもたらす。

以下に引用するのは、松本竣介の真価を発掘した一人としても高名な大川榮二氏(サラリーマンでありながら一流のコレクションを創り、現在は大川美術館 館長)が、その著書『美の経済学』の中で浮世絵について書かれた箇所である。

浮世絵専門家の文章ではないが、美術に対する本物の眼を持っている大川氏の、この文章が浮世絵の素晴らしさを言い尽くしていると思う。

大川氏は、日本美術の中で、国際的オークション市場において評価が一番極まっているのが浮世絵であり、明治になって輸出陶器が割れないように詰めた反古の浮世絵にヨーロッパの人、とりわけ、当時、行き詰まっていた印象派画家たちに感動を与えたことを書いた後に、次のように続けている。

「マネは墨跡の奔放さと形態の妙味を、モネは全体の印象を優先した細部の簡潔さを、そしてロートレックは簡略化した平面の色に注目した。ドガは群像の瞬間の動きと幻想的明暗処理、ゴッホは写実的でない色彩の効果と量を示す線の表現に影響を受けたといわれる。
さらにいえば、今をときめく印象派絵画創世期以降の世界巨匠絵画、特に印象派巨匠連に強い影響を与えたのが他でもない日本浮世絵師たちである。

−中略−

私はここ数年間は、内外彫刻や海外版画類にのみ眼を奪われていたが、一昨年以来、さる人の強い要請で浮世絵購入のお世話をすることになった。
広重の名所江戸百景、五十三次、雪月花、歌麿の青楼十二時、北斎の富嶽百景の初摺物といわゆる逸品をつぶさに鑑賞したが、そのすばらしさに圧倒された。
特に江戸百景は自宅に持ち帰り正味五時間、一枚一枚一息も入れずに丹念に見た。理屈ではない、その圧倒的魅力と満足感は、従来筆者三十五年の絵画コレクション蒐集の生活の中で今まで味わうことのできなかったものだ。その瞬間は、自らコレクションせるピカソ、シャガール、祐三、竣介、英夫、鉄五郎、利行等々の名品すら影が薄くなった。往昔のモネ、ゴッホ他印象派の画家たちが、従来の自分の筆をストップしてまで浮世絵に魅了され、夢中で描写し、この中から学び取ろうとした気持ちが初めて肌で理解できた。」

 


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