寒くて賑やかな江戸の夜「虎の門外あふひ坂」 |
伊藤 三平
『名所江戸百景』の「虎の門外あふひ坂」である。「あふひ坂」は今の表記で書くと「葵坂」で、初摺りの保存も良い1枚である。
(注)『東京時代MAP大江戸編』に、この地点の当時の地図が掲載されている。絵の位置関係がよくわかる。
原画は筆者所蔵 | 『東京時代MAP大江戸編』新創社編より |
1.裸の男は?
この絵を見て、すぐに眼が行くのは前景の裸の男2人だ。
服装も異様だし、進む方向も、他の人物等が坂を上下する方向に動いているのに対して、この絵を右から左へ横切る方向に移動しており、違和感がある。
また他の人物、建物等にはボカシを入れて夜景に溶け込ませようとしているのに対して、近景ということもあるが、くっきりと浮かび上がらせて描いている。
この裸の2人はこの近くの金比羅様(金比羅さんがある四国丸亀の京極家の上屋敷内にあった。なお京極家は上記地図では本多肥後守と相良志摩守に挟まれて少しだけ敷地が見える)に寒参りをしてきたところである。
確かに前の男の提灯には金比羅大権現の文字が入っている。後ろの男は鈴を持って鳴らしている。こういうのが寒参りのスタイルだ。
寒参りとは、見習い職人が冬の夜に神社や寺にお参りをして、水垢離を取って修行の上達を祈る風習だ。1ヶ月続ける必要があると記している本もあるから、お百度参りと同様に、それなりに大変な行なのだろう。(寒参りをする人は寒行者と言う)
前の若い男の人相は”はしこい感じ”がする。後ろの職人の顔はのんびりした感じだ。寒参りの霊験はどうだったであろうか。
前の若者は職人というよりは商売の方で成功したのではなかろうか。後ろの若者は真面目な職人として信頼される男になったと思う。
2.江戸の冬の夜空
この絵は3つの絵に分けた方が見やすい。一つは上記で説明した裸の男2人の絵である。もう一つは上部の坂の上に広がる夜空と右の遠景の山王の社である。3つめが、絵の中ほどになるが左側に描かれている坂(葵坂)と、右側のお堀の堰である。
上部の坂の上の夜空と山王社を切り取ると次図の通りである。
名所江戸百景の短冊と、表題を書いている関防(かんぼうー色紙)には赤が使われていて目立つが、それを無いものとして見ると、寒い時期の夜空である。
空気が澄んで、星がたくさん見えている。今と違って空気がきれいだから星は大きく、たくさん見えたのだろうか。
バックの色は墨色の天ボカシで夜空の高さを出して、次いでグレーに幽かにブルーを入れているような色の空にしている。いい色だ。その下部をボカシして、無色の空を抜いて、遠くに続く空を表現している。
地平線には紫を入れて、無色の空の方にボカシている。夕陽の残照が幽かに残っている感じだ。冬だから暮れるのは早いが、時間的にはそれほど夜は更けていないのかもしれない。
澄んでいる空に、三日月をひそやかに白く浮かびあがらせている。この月の下に、かすかな「あてなしぼかし」を、この絵ではチェックマークのように入れている。これは彫りではなく、摺りによって作るボカシだから、1枚ずつ、少しずつ違う。浮世絵版画の楽しさだ。
そして、見にくいが、三日月の上に雁行を右肩上がりのZ字上に入れている。
裸の木は榎木だ。榎木は葉が大きい落葉樹であり、夏の日差しを避ける為に街道筋に植えられたことが多いと聞いた。葵坂上のシンボル・ツリーになっていたのだと思う。
この季節は落葉して寂しいが、樹形そのものは賑やかだ。山王の山に生えている常緑樹の松と対比させている。
右の小山の上の山王社の屋敷や、左の坂上の建物にはボカシが多用されていて、暮れていく様子を表現している。
「寒々した冬の澄んだ夜空がうまく表現できている」と書こうとしたが、しばらく見ていると、後述する坂やお濠の賑やかさに影響されて、星の饗宴が始まりそうな賑やかな空という気がしてきた。
3.賑やかな葵坂とお堀の堰
もう一つの絵が、左に描かれている坂(葵坂)と、お堀の堰である。
この坂は賑やかだ。江戸の夜の商売の二八そば(夜鳴きそば)が坂の途中にあり、大平しっぽくの屋台が坂の下の方にある。いずれも人通りの邪魔にならないように壕端にある。卓袱(しっぽく)とは広辞苑によると「そば、うどんの種に松茸、椎茸、蒲鉾、野菜などを用いた料理」とある。
二八そばも、大平しっぽくも江戸時代のファストフード(注文後すぐに提供される、簡単な食事)だ。
機能的な屋台である。私が知っている範囲の昔では、屋台はすでにリヤカー付きの屋台になっていたが、江戸時代は一人で担げるようになっていたのだ。一人で、場所の移動から、料理の提供、後片付けまで出来るように作られている。
赤にボカシが入った屋台の看板は、中に灯りが入って夜道でも目立ったんだろう。屋台の下部にぼかしを入れて、夜の闇に溶け込ませている。このような屋台が2台も出動しているからには、葵坂は夜間通行量が多かったに違いない。
提灯を持った中間(ちゅうげん)を先に歩かせて、坂を降りてくるのは裾裏の色などから女性のようだ。商家のおかみさんが、この坂の向こうの武家屋敷に届けものをした帰りだろうか。
逆に中間(ちゅうげん)を先にして坂を登っているのは武家のようだ。これから帰宅するところだ。
坂の上の方には一人で下りてきている人もいる。実物の浮世絵で確認しても、冬の季節のせいか厚着をしており、女性か男性かわからない。常識的には女性一人の夜歩きは物騒であるから男性と思う。いずれにしても日本は江戸時代からこのように治安が良かったのだ。
坂にはネコも2匹出ている。一匹は夜は自分たちの得意とする時間だとばかりに寝そべっている。(ヘンリースミスは『広重 名所江戸百景』の中で、この2匹を犬としているがネコだと思う)
賑やかな坂である。屋台が出ても商売になるに違いない。
右のお堀は、溜池の堰き止められた水が流れ落ちるところだ。逆Tの字型に濃い青を入れて周りをぼかしている。なかなか印象的な逆Tの字である。当初は何だろうと思ってしまった。激しく水が落ちている音が聞こえるようだ。
夜鳴きそば屋は風鈴をつけて風鈴そばという異名もあるように音を出して存在を認知させていた。ラーメンの屋台にチャルメラがあったように大平しっぽくも、何か音を出していたのではなかろうか。ネコの鳴き声も聞こえる。寒参りの男の振る鈴の音も加わる。それに堰から落ちる激しい水音だ。この辺りは人通りだけでなく、音も賑やかなのだ。
江戸の町には夜間でも、色々なものが出現していたことが理解できる。さすがに江戸は大都会。
この絵を3つの部分に分けて観てきたが、星も賑やか、坂も賑やか、堰の水も賑やか、加えて各種の音の伴奏付きだと言うことで、3つの部分が一体となってハーモニーを奏でてきた。広重は活動的な江戸の夜を描いたんだと思う。
赤瀬川原平は『広重ベスト百景』の中で、この絵を夜景のベスト1に選び「手前の提灯を手にした裸の二人、この歩きっぷりがそのまま夜の闇の濃密さをあらわしている。これは職人に技量向上を願っての寒行らしい。この時代、仕事はたんなる労働ではなかったのだ。闇の中にそば屋がいて、猫がいて、ちらほらと歩く人がいて、本当はもっと何ものかがうようよいそうな夜の感触がたまらない。」と評している。
4.色街以外の江戸の夜
広重の夜景は非常に魅力のあるもので、『名所江戸百景』の中では次のような作品がある。
(1)色街の夜
真乳山山谷堀夜景(真乳山を背景に、芸者)
廓中東雲(吉原大門からの朝帰り)
浅草川首尾の松御廐河岸(松の下の船の中に女性の影)
月の岬(品川の飲み散らかした座敷から月)
よし原日本堤(吉原の日本堤)
御廐河岸(隅田川の船上に夜鷹2人)
(2)夜の風物(花火、芝居、寒参り)
両国花火(両国橋の花火)
猿わか町よるの景(猿若町の芝居小屋の前の雑踏)
虎の門外あふひ坂(虎ノ門金比羅宮の寒参りと屋台など)
(3)夜の景色
永代橋佃しま(佃島の橋脚と船に漁り火)
京橋竹がし(竹が林立している京橋の橋上に通行人と満月)
王子装束ゑの木大晦日の狐火(王子装束稲荷に伝わる大晦日の狐火伝説)
色街以外の日常の日の夜景、色街とは違う堅気の江戸の夜景を描いた絵として、この「虎ノ門外あふひ坂」は貴重である。
4.雲母摺り、ボカシの多用
初摺りは雲母(きら)摺りがほとんどの絵に見られるが、この絵には特に多い。黄色で雲母摺りがほどこされたところを図示すると次の通りである。
雲母の輝きは、絵を観る角度や光の関係で見えたり、見えなかったりするが、多用することで、絵にふくらみを与えているように感じる。
ボカシも多い。いかに『名所江戸百景』の初摺りは手間をかけているかが理解できる。上でも書いたが、この絵はボカシを使うことで夜の闇に溶け込む感じがよくでている。