動きの一瞬「利根川ばらばら松」 |
伊藤 三平
広重が描いた『名所江戸百景』の「利根川ばらばら松」である。残念ながら保存がやや悪く、紙の焼けと汚れがあり、空の薄いブルーと川面の水色にくすみがあるのが残念だが初摺りの作品である。
原画は筆者蔵
『名所江戸百景』のシリーズ118枚には「いい絵だなぁ」と感嘆するものや「面白い!」とか「うまいなぁ」とか思わせる魅力的な絵が多い。この絵は、その中でも”気になる絵”として、魅力的な一枚である。では何が私の眼を惹きつけるのだろうか。
1.投網を投げた一瞬、1000分の1秒のシャッターチャンス
絵に描くということは、描く人が美しいと思ったある一瞬を静止させて記録にとどめることとも言える。モデルが取るポーズを、動かないようにしてもらいながらスケッチすることは我々皆が行ってきた。
これをもう一段突き詰めたのが写真である。写真はシャッタースピードを早くすると、光量が必要になるが、早くするほど速い動きをぶれずにくっきりと残すことが可能である。
「利根川ばらばら松」の絵をご覧いただきたい。これは絵を超えて、写真の領域に入っている。人物の動きならばしばらく停止してポーズを取ってもらうとか、何回か繰り返してもらうことでスケッチができないことはない。しかし、投網は難しい。広重はスケッチができないはずの、「投網を投げて、その網が川面に入った一瞬」を描いているのだ。
これまでも刻々と移り変わる天候の機微を描くことで、我々や欧米の印象派画家を驚かした広重は、それだけでは飽きたらず、通常は我々の眼にも止まらぬ動きの一瞬を切りとって、我々に見せてくれたのだ。
投げられて空中で広がった網をよくよく見ると、機械的に編み目を描いているのではなく、また適当に編み目を描いているのではなく、本当に網を投げて、その編み目の各部位がそれぞれに広がる過程を見て描いているように見えてくる。広重の眼は1000分の1秒も捉えられるようだ。
2.音を感じる絵
カメラのような眼で、我々を驚かせてくれたばかりか、この絵では音も感じる。
私は詳しいことはわからないが、足場の悪い船の上から、投網をきちんと広げて水面に投げ入れるのには修業がいるのだろう。ただ投げるだけでもない。魚がよく取れるポイントに向けて投げるのだ。
この絵からは投網を投げた時の漁師のかけ声というか気合いが聞こえる気がする。同時に、網を投げた音、網が拡がる音が聞こえる。
それから網が着水する時は、その音もするだろう。しかし、この網を見ていると、水面に入る網は魚を驚かさないように、最小限の音で川面に入っていくような感じである。このような音の調子まで感じさせてくれる絵だ。
川の方々で、同じような投網漁が行われている。画面左の方には、入れた網をこれから引き上げるところだ。引き上げる網から水が落ちる音も聞こえてくる。
飛んでいる白鷺も、一羽はくちばしを開いており、鳴いているのかもしれない。
3.利根川ばらばら松とは
実は「利根川ばらばら松」は、『名所江戸百景』の中でも、唯一、場所が特定できない絵として知られている。
ちなみに当時の利根川は、現代では江戸川と知られている東京都と千葉県の境を流れる川のことである。先人が「利根川ばらばら松」の場所を特定すべく、調査をされているようだが、江戸の地誌や名所案内には「中川ばらばら松」の記述があるが、「利根川ばらばら松」の記述はないようだ。そこで広重は中川と利根川を間違えたのではないかとの説もある。
一方で広重が利根川と明記している以上、やはり利根川ではないかとの意見も強い。松が河口にばらばらと生えている様子は、それほど珍しい景色でもなく、戦前、この絵と同様な松を利根川(江戸川)河口で見たという識者の話も残っている。
この利根川には漁の船だけでなく荷物や人を運ぶ船も航行している。中央の網で少し帆が隠れている船は、貨物を運ぶ船なのではなかろうか。江戸の下町では水運が盛んに行われていたのだ。この船の船頭は、通い慣れた川での投網漁であり、漁に見惚れることもないだろう。時には漁師に漁の状況などを聞いて通り過ぎる船もいるだろう。
空の鷺も、川魚の漁をしているところではないか。水面めがけて降りていくところだ。投網漁と同様に、鷺の漁も、何かのんびりした様子だ。
4.摺りが醸し出す網裏の景色の味わい
この絵で、広重は網を通して見る景色の面白さも伝えようとしたに違いない。ただ”網を通した景色”と言う絵の趣向は、北斎の『富嶽百景』の「網裏の不二」にも見られる。また北斎は、『千絵の海』の「総州利根川」でも四つ手網を通した景色を描いている。
富嶽百景第三巻「網裏の不二」 | 千絵の海「総州利根川」((財)アダチ 伝統木版画技術保存協会の複製画より) |
また国芳も弘化頃に『東都富士見三十六景 佃沖晴天の不二』として、四つ手網を通した絵を描いている。国芳は武者絵や面白い絵で有名だが、風景画もいい。
国芳 佃沖晴天の不二(第16 回浮世絵オークションより) |
広重も『不二三十六景 田子の浦』で、富士山の前に干した網を描いている。
広重 不二三十六景田子の 浦」(東洲齊カタログ8号より) |
「網越しの景色を描く」手法は北斎以前にも日本の絵師によって取り入れられていたのかもしれないが、広重もまた北斎や先人の工夫、趣向を取り入れたのだと思う。
一眼レフカメラを使った人なら、偏光フィルターを付けてレンズを覗いたことがあると思う。そのような視覚の効果にも似ている。通常の視覚とは別の視覚を提示することで、観る人を「あっ」と言わせている。
薄いグレーと同時に網裏に透けて見える景色を見せる摺りはどのようにして行うのだろうか。当時の木版技術には驚嘆させられる。
広重から、「利根川ばらばら松」の原画を見せられた彫師や摺師は腕の見せどころと意気込んだに違いない。そんな気合いも、この絵から感じる。
再度、述べるが北斎や国芳が描いた四つ手網ならば、網の形は決まっている。静の網だ。干した網も静の網だ。広重がこの絵で描いたのは微妙な変化を投げる度にする投網=動の網なのだ。北斎や国芳の影響を受けながらも、広重は自分の独創を発揮して、世に問うているのである。
5.投げ手の漁師が見えない投網
この絵が”気になる絵”のもう一つの理由は、投網を操っている漁師の姿が見えない構図の面白さにある。理屈っぽく考えれば、絵を見ている側の右側から、投網を投げたから、投げた漁師が見えないともいえる。しかし、投網だけが拡がった印象で、窓のようだ。
ちなみに北斎の『富嶽三十六景 甲州石班澤(かじかざわ)』では、富士山を背景に、波濤うずまく巌頭から、網を入れているところを描いている。網を入れている漁師の姿は北斎らしい表現で見事である。
北斎 甲州石班澤 |
北斎であれば、このように巧みに投網をする漁師の姿を描くに違いないが、広重は描くどころか漁師を消しているのだ。広重は気にしない、名所江戸百景だから名所をくっきりとイメージできる風景を描けばいいのだ。結果として、主役である投網がより以上に強調出来て、私のような後世に生きる人間に”気になる絵”として評価させているのである。絵は不思議なものだ。
写真の眼で、1000分の1秒を描いた広重が、今度は写るべき対象を消しているのだ。
このような手法は『名所江戸百景』で時々使われる。たとえば「蒲田の梅園」の絵で、担ぎ手がおらず、籠が宙に浮いているような絵を描いている。広重独特の感覚である。
6.摺りの良さ
この一枚は保存が悪いが、摺りは初摺りだけに手が込んでいる。中央の船の帆には布目摺りが施されている。この布の目の痕跡を見ると、布を帆の形に曲げた上で、擦っているように見える。まっすぐに布を置いたのではない。これには感心した。
またこの絵では関防(表題を記した色紙)全体にも布目摺りが施されている。
また光が強い日中に、絵を持って斜めから見たら、下部の水面にはかすかに雲母摺りが施されている。「あっ」と思い、これまで雲母摺りがないと思っていた「神田紺屋町」も同様にして確認すると、この絵の空にも同様な雲母が見られた。『名所江戸百景』の初摺りにはほとんど雲母摺りが見られるとも聞いているが、本当のようだ。
7.先人の評
ヘンリースミスは『広重 名所江戸百景』の中で、次のように書き始めている。
「投網を打つ音がする。数珠のようなおもりがかたちづくる網の模様の向こうには、利根川の岸辺がぼんやりと続いている。彫師の腕のみせどころである。この網越し風景の着想を広重は北斎の『富嶽百景』(三編)の「網裏の不二」から得たようであるが、この絵の仕上がりには、名状しがたい微妙な味わいがある。」
そして、最後に次のように締めくくっている。
「この問題(利根川、中川かという場所の特定問題)が、この絵のすばらしい仕上りとはまったく関係ないことだけは確かである。」
私が”気になる絵”と言ったことをヘンリースミスは”名状しがたい微妙な味わい”と述べて、”すばらしい仕上り”と締めている。
赤瀬川原平も『広重ベスト百景』の中で、その1枚に取り上げている。”絶景”の部に選び、「思わず「ぱっ」といいたくなる投網の形。ぱっと凍結した空に、白鷺2羽もぱっと貼りついている。」と評している。
赤瀬川原平も、ヘンリースミスも、この絵から音を感じているようだ。