鉄炮洲稲荷橋湊神社 |
伊藤 三平
『名所江戸百景』シリーズの中の「鉄炮洲稲荷橋湊神社」の図である。下左側が私の所蔵品であり、初摺りの1枚だと考えているが、この絵には大きく色合いが異なった摺り(下右図)があり、それを初摺りとする説もある。初摺りの揃いものとして残っている名高いセットでも、図の下に記したように分かれている。
原画は筆者蔵 | 別の摺り |
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ヘンリー・スミスは『広重 名所江戸百景』において次のように記して、広瀬本の摺りの方が初摺りと推察している。
「この絵(筆者注:上右図)は、集英社版『浮世絵体系』の元本である一級品と折紙付きの広瀬本(筆者注:上左図)と比べてみると、かなりの違いがある。ブルックリン本の方が、空に施された藍のぼかしの部分が多い。近景の帆柱に施された重ね摺りも厚い。とくに左側の大きく見える帆柱がそうである。一方広瀬本の帆柱は、帆摺、筈緒、身縄は、黄だいだいに摺られている。最後に、画面下方の川の中央の藍のぼかしは幅が狭いが、広瀬本では下端に向かって末広がりになっている。ところで、「名所江戸百景」という外題を署した短冊形色枠の下端にわずかながら白く隙間があるのは、摩滅のためでおそらく後摺りであることを示している。」(掲示の上右図は小さいので、短冊下のわずかな隙間はわからない)
有名な「大はしあたけの夕立」の図においても、向こう岸に筏が2つ画かれているのが初摺との説もあり、簡単には特定し難いものである。
なお初摺りにはほとんど存在する雲母(うんも)=雲英(きら)が天ぼかしのところ、その下の空、大きな帆柱等にかすかにちりばめられている。私は左側の色合いの方が明るくて良いと思うが、これも個人の見解によるのだろう。
なお私の所蔵品は、右下が若干擦れているが、他は保存の状態も悪くはない。
1.絵の解説
手前の2本の柱は、弁才船(べざいせん)=千石船の帆柱である。そして帆柱から出ている縄は、左側が筈緒(はずお=帆柱先端の筈にとりつけて船首へ張る補強用の麻綱)である。上部に帆摺(ほづれ=帆を掲げた時に、綱(筈緒)と帆が擦れて、帆が痛むのを防止したもの)がついている。右側の縄が身縄(帆を上げるための綱)である。
小さい方の帆柱には斜めになった先も描かれているが、これは蝉(せみ=中に帆を上げ下ろしする為の滑車があり、音が蝉になぞらえられる)と呼ばれている。
帆柱は何本かの木を鉄のタガ(責金)ではめた松明柱(たいまつはしら)である。より大型船で使われる帆柱である。
弁才船=千石船は大型船だから、あまり陸の近くにはいけない。そこで沖合に停泊して、荷物は小型の瀬取船で陸に運ぶことになる。この絵でも荷を積んだ小さな船が描かれている。
描かれている橋が稲荷橋で、京橋川にかかっている。手前の赤い塀が湊神社の塀である。この神社は江戸への入口であり、波除け稲荷ともいわれ、船乗りの信仰が篤かったそうだ。
橋の向こう側には白い土蔵が連なっているのが見える。この先あたりが八丁堀の同心の屋敷である。湊神社の塀の上に大きな白い建物がある。これは神社本殿かもしれないが、他の建物とは規模が大きく異なり、築地の本願寺なのかもしれない。
京橋川(今は埋め立てられて桜川公園などがある)と亀島川が合流する河口で、さらに手前に隅田川が合流している。湊神社があるところが鉄砲洲で、鉄砲の形をしているからとか、昔、大砲・鉄砲の演習場だったから名付けられたも言われている。
そして遠くには富士山。この絵は「秋の部」に入っているが、雪が目立つ富士山であり、今の10月終わりくらいであろうか。あるいは季節感とは無縁に、湊神社の塀の赤に対比して富士山を蔵と同じく白にしたのかもしれない。湊神社の塀に描かれている鳥は、私には燕に見える。こうなると秋ではないのだが、浮世絵のことである。この辺は適当だ。
2.名所江戸百景らしい絵
高い視点から、富士山に向かって江戸の町を見下ろし、そこに近景を大きく、しかも異常にクローズアップして描くのは名所江戸百景らしい絵である。
しかも江戸=「下町は水の都」の水面もふんだんに入れ、川添いの漆喰の蔵が建ち並ぶ様子は江戸の繁栄を謳歌している。
川面(海面でもあるが)に、樽をたくさん詰んだ瀬取船など、忙しそうに動いており、江戸の活気も感じる。まさに江戸百景なのだ。
3.△形の構成の面白さ
この絵は多くの△形を組み合わせている。
帆柱と筈緒、身縄で構成する△、富士山の△、土蔵の漆喰の△型、川面の濃いベロ藍のぼかしも△にしている。
大きい△、細長い△、どっしりした△、群れるような△、ドロッとした△など色々な△形を使っており、この△の変化が活気を感じさせる絵である。
また帆を下ろしている弁才船は安らぎを与え、一方、その荷を運ぶ瀬取船などの小舟は忙しく動いている。この対比も面白い。色合いの明るさも活気を与えている。(ブルックリン本の摺だと明るくないが)
自信に満ちた広重の絵である。