輪の組み合わせの「高輪うしまち」(改定)

伊藤 三平

『名所江戸百景』における「高輪うしまち」である。初摺りが入手できたので、差し替える。私はこの絵も好きな絵だ。マージンもたっぷりあり、B4版のスキャナーではマージンが切れてしまうから、浮世絵商のカタログに掲載の写真から転載している。

   
 初摺り  従前の後摺り

1.「高輪うしまち」と「お台場」

描いている場所は高輪の芝車町、通称を牛町と呼ばれる。
この町の起こりは、寛永時代に増上寺安国殿の造営の時に、その用に立つために牛車を京都から呼び寄せたことにはじまっている。造営が終わった後に牛車と車夫は、ここ高輪に集められて町を形成したのが芝車町、通称牛町になった。この町にいた牛の数は120頭程度と言われているが、現在では詳しいことはわからない。(『広重 名所江戸百景』(ヘンリー・スミス著)など参考)

車の発達は道路と関係する。古代ローマでは紀元前の時代から石を敷いた立派な街道が造られたが、日本は道路事情が非常に悪かった。私が小さい頃でも幹線道路を外れると舗装はされておらず、雨でも降れば、すぐにぬかるんでいた。
国土が狭く、アップダウンが多いこと、雨が非常に多いことなどの自然条件もあると思うが、江戸幕府の軍事上の都合で、あえて道路をキチンと整備してこなかったこともあると考えられる。
東海道というメインのルートでも、大井川の渡しのように、橋をあえて架けない場所も存在した。そういうこともあり、車の発達が遅れたが、江戸の市街でも事情は同じである。

海の中に人工の岩場が見えるが、あれは品川のお台場である。嘉永6年(1853)にペリーの来航を受けて、江戸湾防備の為に急遽工事が始まり、翌年1854年に竣工した。この絵が描かれたのは3年後の安政4年(1857)である。

この絵は「高輪うしまち」であるが、広重は、この名所江戸百景シリーズにおいて、お台場というものが品川・高輪沖の海中に出来たことをPRする意図もあったのではなかろうか。(シリーズの中の「品川御殿やま」ではお台場を造るために御殿山が削られて地肌が剥き出しになっている光景を描いている)

当時の浮世絵は新聞の代わりの役目も果たしていたのだ。

2.輪の組み合わせ

この絵の面白さは、高輪の「輪」にちなんだ為であろうか、次のような輪型を画面に持ってきて組み合わせた点にある。実際に大きい順に書くと次のようになる。

  1. 帆船の帆

  2. 牛車の車輪

  3. スイカ

絵においては「1.虹」と「3.車輪」が大きく描かれ、「2.帆船の帆」と「4.スイカ」は小さな輪として描かれている。この大きさの対比も面白い。
それぞれの輪として描かれたものは、次のように絵に重要な意味をあたえている。単に輪として組合せたのではない。

天にかかる虹は、この絵の描かれた時が夕立が終わった後であることを示している。広重は世界の印象派の画家が驚いたように、天候の一瞬を描くところが素晴らしい。

食べかすのスイカは、この絵の季節が夏(当時の分類では秋)であることを表している。

そして牛車の車輪とお台場のある海に浮かぶ帆船が、絵が描かれた地点の高輪牛町の品川沖を眺める海岸であることを示している。

「芸術は驚き」と言う面もある。この絵は前景の大きな車輪に驚き、次ぎに「虹だ」、「虹だ」と驚く。ハワイと違って日本では虹はそんなに見られるわけではない。特異な天体現象が描かれていることに楽しい驚きを感じる。

そして、その神々しい虹と、食べかすのスイカの対比など、なるほど、同じように赤が入る輪形だなと驚きを通り越してあきれてしまう。

驚きの感情とは心を動かされたと言うことである。心を動かされることは感興を催したことである。絵を描いた画家の術中にはまってしまったのだ。術中にはまったからと言っても別に不快ではない。楽しい、ニヤリとくる感情だ。

3.視点の低さ

『名所江戸百景』の中には、「深川洲崎十万坪」のように高い視座から見下ろす絵や「水道橋駿河台」「神田紺屋町」「両ごく回向院元柳橋」のように高い視点から遠方を見る絵も多い。しかし、この絵の視点は低い。海岸に座り込んでの絵である。まさに視点を自由自在にあやつる広重である。

低い視点というのも新鮮だ。低い視点だから、地面のスイカの食べかすなどが発見できる。もっとも発見したからと言って、これを描いてしまう人は広重以外にはいないかもしれないが。(シリーズの中で視点が低い絵に「四ッ谷内藤新宿」があるが、ここでは大きな馬の尻を描き、地面には馬糞だ。「はねたのわたし弁天の社」では船を漕ぐ船頭の毛ずねを描いている)

このスイカの食べ残しによって、「今は夕立で退散した釣り人が、スイカを食べながら釣りをしていたのであろうか」とか「牛車を曳く者が仕事を一段落してスイカを食べたのであろうか」などと想像される。

捨てられた片方だけの草鞋なども同様だ。犬が咥えて遊んでいるが、「東海道を旅してきた人が、ここ品川の高輪にきて、安心して脱ぎ捨てて、新しい草履で江戸に入ったのであろうか」あるいは「犬がどこかに干していたものを持ってきてしまったのか」などと、色々と想像してしまう。

低い視点からの為に、牛車の車輪の大きさもよくわかる。「この車が活躍して土砂を運搬して、沖のお台場の造成も行われたのかもしれない」との思いも生まれる。

絵と対話ができるというのも楽しいではないか。

この絵で見られるように人間の生活に関係する痕跡は、低い視点からの方が発見が多い。

地を這うような視点にも関わらず、スケールが大きいことにも感動する。上は天空に架かる虹を見て、遠くは海の彼方を眺めている。カメラでは描けない景色だ。広重は本当にうまいと思う。

4.江戸という都会らしさの出た絵

人間は一人も描かれていないが、このスイカの食べ残しと、片方だけの草鞋は言わば都会のゴミである。これによって、実に人間くささが出ている絵になっている。江戸の生活が感じられる絵とも言える。

牛車の車も大都会江戸を支える物流インフラの一つだ。そして沖合には干拓によって出来た人口島=お台場も見えている。これは生活の為の場ではなく、異国船の侵入を防ぐ防御拠点だが、都市のインフラでもある。

沖合の船も、江戸への物資を地方から運んできた船と、その船から荷を移し替えて江戸の川を遡って物資を街中に運ぶ船だ。

犬も飼い犬か野良犬かはわからないが、犬は人間の側で生きる動物である。都会ならではの光景だ。

赤瀬川原平は『広重ベスト百景』の中で、この絵を「艶景」の第2位に選んで、評価しているが、これも、このような印象を重視した為と思われる。

5.夕立がやんだ一瞬−これから活動の再開だー

この絵は夕立がやんで、虹がかかった瞬間を描いている。この青空が少しくすんだような空の色はなかなかいい。ブルーにグレーとグリーンが入っているように感じる。

また虹の色も効果的である。虹も理屈では赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の7色だが、肉眼で見ると、この絵より赤が目立つが大筋はこのようなものである。少しく地上に近い末端が消えかかっているのもいい。天候の変わり目を描く広重は天才的である。まさに印象派の広重の真骨頂だ。

地面の色も、雨に打たれた色だ。

牛車を曳いていた車夫や、スイカを食べながら釣りをしていた人が、突然の夕立で、後片付けもせずにひとまず雨宿りをしに退散した。
そして、夕立が終わった今、真っ先に活動をはじめたのが2匹の犬だ。

犬が人間の活動の再開に先立って出てくる情景に、どこかで出会った気がしていくる。既視感があるというべきか。広重のうまさである。

そろそろ車曳きも雨宿りから戻ってくるだろう。これから、この牛車も活動を始めるのだ。

品川沖の帆船の群れ。さすがに江戸湾である。帆を下ろしている船も多いが、帆を上げて動き始めている船も多い。
諸国からの廻船や、江戸で暮らす人の為の物資が運ばれているのだ。夕立がやんだ。帆船群も活発に活動を開始するだろう。

6.デフォルメ

美術品は自分の所有にすると、よく観るようになる。

今、この車輪が縦長になっているのに気がついた。車輪は円であるが、観ていただくとわかるように、縦の直径の方が横の直径よりも明らかに長い。

この方が自然に見えるのが縦絵の効果だ。広重先生の工夫に、ここでも思わずニヤリとしてしまった。

7.摺りの違い

初摺りの違いを後摺りと比較すると、次のような点が異なる。

   
 初摺り  後摺り

次の点が異なっている。

  1. 関防(右上の画題を書いた色紙)が初摺りだと3色に分けて摺ってある。

  2. 車輪の外側に初摺りはぼかしが入っている。泥がついている感じは初摺りの良さだ。

  3. 岸の海側にも初摺りはぼかしを入れている。

  4. 一方、後摺りには岸の海側に緑の草を入れている。海岸には草が生えることもある。

  5. 初摺りの犬は白のぶちと茶色一色の犬。私の後摺りは茶色のぶちと茶色に白の腹の犬。茶色の斑には黄色も入れてある。

  6. 名所江戸百景と広重画の短冊の赤がより濃い。(赤を2度かけしている)

この外、初摺りには、雲英摺りが施されている。この絵では天ぼかしの部分、車輪の上部の外の空の方、そして地面の海に接した部分に施されている。さらに虹の一番外側の輪に厚く雲英が摺られて、観る方向によっては輝いて見える。


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