42 宮 (Miya)
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七里舟渡

宮は今の熱田で、この渡船場から伊勢湾奥の海上七里を通り、桑名にいたる。帆を下ろした和船が4雙停泊中。後に世が明治となって、お雇い学者のモースは1879年の日本滞在日記に、「日本人は今や外国船の型にならって船を造っているので、このような日本のジャンクはすぐに姿を消すであろう」と記す。竜骨が無くて強度の劣る和船を洋式帆船が駆逐した。彼は日本の民具も遠からず消えさると悲しみ、夥しい量を蒐集する。


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