が歩むリズム「日本橋通一丁目略図」

伊藤 三平

この絵は『名所江戸百景』における「日本橋通一丁目略図」である。安政5年8月の改印がある作品である。
裏打ちがあるが初摺りで保存が良いものである。初摺り特有の濃い赤が裏打ちをする時の水分で、少し滲んでいるのが欠点である。

原画は筆者所蔵

私が子どもの頃には、この図で描かれている白木屋が百貨店として、この場所に存在した。それが東急百貨店に買収され、さらに現在では東急百貨店もなくなり、新しく再開発中である。
この図にある白木屋の隣の東橋庵(のれんにはこうあるが、通りの看板は東喬庵)という蕎麦屋はいつなくなってしまったのであろうか。
いずれにしても、昔といえども、日本橋の繁華街である。人通りも多いはずだ。

季節は夏、日差しが照って、暑い。道行く人は皆、日傘や笠をかぶっている。蕎麦屋の出前は前をはだけている。その近くに売っているのは真桑瓜と先人の本には書いてある。それを買って、かじりついている男がいる。

1.この絵のおもしろさ−円が通る、丸が通る−

この絵のおもしろさは、中央の大きな笠を中心とする、傘と笠による円が織りなす模様である。中央の水色に赤い縁とり(茜染めの木綿)がしてある派手な大きな傘は住吉踊りに使うもので、その中に5人が入れるような2段重ねの傘である。この5人の扮装は『広重 名所江戸百景』ヘンリー・スミス著)によると、わらじ掛け、茜木綿の前垂に白木綿の手甲脚絆甲掛、菅笠を被るというものであったようだ。この住吉踊りが「かっぽれ」の源流とのことである。

下は刀装具の一つである目貫として彫られた住吉踊りの図である。カラーでないのが残念であるが、横からの図であって、この傘の構造がよくわかる。もっとも少し傘の構造は違うように感じるが。

住吉祭図目貫(山崎一賀)…刀装具優品図譜第16集(尚友会)

この後ろに、隙のない様子で三味線を抱えた女性が歩いている。住吉踊りのおはやしと思うが、それとは無関係な流しの三味線弾き(女太夫)という説もある。

傘は、住吉踊りの2段重ねの大きなもののほかに、左前方に水色、チャコールグレー、少し薄い茶灰色、肌色などの傘が続いている。傾ける角度によって傘の円が様々な表情を見せている。

笠も平べったい円推形と、三味線弾きがかぶっている少し丸みの肩が張っているものまで種類がある。色は藁の色の黄色調である。

丸いものと言えば、真桑も丸い、それを売っている桶も丸い。さらには手前の三味線弾きの女性の着物の裾に水車の模様がある。円が通る、大通りだ。日本橋の日の象徴の円が通るから、「日本橋通一丁目略図」なのであろうか。

背景の白木屋、東喬庵の建物は縦や斜めの直線が多い。まるで、丸、円を引き立てるためのようだ。

2.この絵のおもしろさ−歩くスピードの違い−

私はこの絵を観ていると、江戸の町のスピード感を感じる。思ったほどは早くはない。時代劇を見ていると、もう少し早いが実際はこんなものだったのであろうか。

住吉踊りの一行は集団で移動しているから、傘内の5人が歩調を合わせないといけないからそれほど早くはない、一定のゆっくりしたリズムであろう。後ろの三味線弾きも同じ調子で歩んでいる。

左前方の婦人方は、今で言うウインドショッピングの感覚で歩んでいる。おしゃべりをしながらかもしれない。

蕎麦屋の出前は、蕎麦がのびないように早く歩いているはずだが、せいろを3枚乗せており、やや慎重であるのが理解できる。

3.この絵のおもしろさ−顔が見えない−

通りを歩く人は、皆、顔が見えない。傘や笠によって隠れている。また蕎麦屋の出前もせいろで顔を隠している。白木屋ののれんで顔が隠れている人物もいる。

広重の保永堂版『東海道五十三次』は、十返舎一九の物語が下地にあったせいか、人物の表情も豊かである。このような点からも広重の絵は叙情的であるとの評があるのであろう。

だけど『名所江戸百景』においては、総じて人物の表情、動きは控えめである。それは広重が名所を描いて、人物を描いたのではないためであろう。人物は名所の引き立て役に徹していていいのである。

4.この絵のおもしろさ−色がきれい−

この絵は特に色が綺麗である。初摺りということも相俟ってのことであるが、天空の赤紫、屋根の上の赤がそれぞれぼかしてある。

建物は、ぼかしも含めたグレーを様々な階調で使い分けている。軒の屋根は水色に灰色を混ぜた色である。

のれんの濃紺が鮮やかである。Hiroshige Blueだ。それを引き立てる文字と商標の白も鮮やかである。うらびれたお店ではない。繁盛しているお店である。それがのれんに表れている。

色に戻ろう。大きな水色の住吉踊りの笠、この色が主役の色だ。この水色に白の御幣が鮮やかで、それに赤の縁飾りも美しい。

笠の中の住吉踊り社中は、白地に水色に紺の井桁の模様。それから三味線弾きの衣装が紺になっている。そして、三味線弾きの帯が濃茶黒に紫の裏地が見えている。

帯と言えば前方の通行人の女性には、紫の帯、黄色の帯、朱色の帯がいる。これらの通行人の着物も、薄茶色、紺色、水色などで様々に彩っている。

蕎麦屋の出前は赤紫色の短衣を羽織っている。出前のせいろは赤に白地の唐草模様が浮かんでいる。そばつゆを入れている徳利は水色だ。

道路はグレーに着色されて、手前だけに緑がぼかしを入れて使われている。

関防(かんぼう→右上の画題を書いている色紙)に、濃い黄緑の煉瓦積みのような模様と赤紫の石の表面みたいな模様が斜めに色分けされている。何を象徴しているのだろうか。

なお、右上の屋根には初摺りの特色と考えられるが、雲母摺りがほどこされている。

(注)2007年12月に、この絵の初摺りの完品を拝見した。この絵では、私が上記で「薄茶色」「赤紫色」と記しているところの色が綺麗な紫なのである。歌麿は実は多用な紫を使った浮世絵を書いていたが、今はほとんど褪色しているとの話は知られているが、時代が下がる「名所江戸百景」においても、褪色しているのが大半なのだと認識した。初摺りの揃いで名高い広瀬本(集英社浮世絵大系)、ブルックリン美術館所蔵品(『広重 名所江戸百景』)でも、茶色になっている。私のは「赤紫」と記したように、まだ褪色が少ない方の初摺りなのだ。
私は、この完品を観て、「堀切の花菖蒲」の右側の菖蒲の色も、本当はきれいな紫色であることを確信した。残っている初摺りを本、現物で観ると茶色であり、何で菖蒲を茶色にしたのか、ずっと疑問に思っていたのだ。
また、このホームページでも所載している「「両国回向院元柳橋」のやぐらの上の幕に描かれている紋も、茶色ではなく紫だったのだと思う。(2007年12月7日追記)


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