出立(しゅったつ)の不安・緊張「三島」(朝霧)

伊藤 三平

保永堂版『東海道五十三次』の1枚「三島」(朝霧)である。これまで『名所江戸百景』と違って、広重の出世作の保永堂版東海道五十三次はあまり買いたいと思わなかったが、これは購入した。
ある浮世絵商は、当初から浮世絵が好きで、この世界に入った人は保永堂版東海道五十三次を好み、絵画などが好きな人が、この世界に入ると名所江戸百景を好むことが多いと言っていたが、そうかもしれない。

原画は筆者蔵(カラーコピーを撮り、それをスキャナーだから色はちょっと違う)

1.雨と雪と霧の芸術家

広重の風景画の中での名作は、雨や雪などの変化がある天候の中での風景を描いたものに多い。光の”うつろい”に急(せ)かされて画面に取り込もうとした印象派が、浮世絵、広重に惹かれたのも無理はない。もっとも広重は現場での写生にこだわったわけではなく、広重自身の頭の中で自然の天候と風景を融合できた天才だ。

広重を「雨と雪と霧の芸術家」と評する人もあるが、保永堂版東海道五十三次のシリーズにおいても、人気が高く、市価も高く、役物(やくもの)と言われているのは「雪の蒲原」「雨の庄野」「雪の亀山」である。次いで準役と言われているのが「旅の始め、朝の始めの日本橋」と「抽象画のような山が印象的な箱根」「夜の沼津」「雨の土山」に、この「霧の三島」などである。
保永堂版に限らず、広重の浮世絵では、雪、雨、夜などの絵が人気が高い。世間も「自然の天候と風景を融合できた天才広重」を認めているのだ。夜の風景を考えれば「風景を時間軸の中で切り取れる画家広重」とも言える。

「霧の三島」で用いた手法ー輪郭を描かず、墨色、あるいは薄藍色の面で摺りあげ、そこにボカシを入れて霧の効果を出す方法ーは、広重以前には顕著にみられないようだ。まさに広重の独創だ。

そして、近景の3組の旅人以外は、薄墨色と薄藍色の濃淡だけで仕上げることで、より以上に効果を高めている。焦点が当たるのは近景だけだ。他は雰囲気を描いているようだ。木だからと言って緑にすることもないのだ。

なお、望遠レンズで、近景を写す時に、バックをぼやかす撮り方がある。対象物がより以上にクリアーになって、印象が強まる。この絵も、バックを霧にかこつけてぼやかすことで、近景の3組の旅人(馬に乗る人と馬子、駕籠に乗る人と駕籠かき、徒歩の旅人)を浮かび上がらせている。

以降、広重は木曾街道六十九次の「宮ノ越」でも、バックが霧に沈む景色の中で家路に向かう一家を描いて、成功している。

『名品揃物浮世絵U広重(道中物)』より

2.出立の不安、緊張

この絵の主人公である前景の3組を観てみよう。@駕籠かきと駕籠に乗っている旅人、A馬子と馬に乗っている旅人、B前後の振り分け荷物を持って歩いていく旅人の3組である。

三島大社との位置関係から、前面の旅人たちは、これから箱根越えに向かうようだ。箱根八里は音に聞こえし、天下の険である。箱根越えの旅は一段と気合いが入るのだ。

この絵を解説した先人の評に、「馬に乗って眠たげな」と記されているものがあったが、この絵を観て、私は眠たそうとの感じは一切抱かない。出立の朝の緊張感、不安を感じる。加えて箱根越えである。さらに加えて朝霧がたちこめて視界がきかない状況なのだ。もう一つ加えると、馬上ということの不安感か。

駕籠に乗った人は一眠りしようかという気にはなっているかもしれないが、眠たげではない。霧の中である。しかも駕籠の中である。駕籠かきに任せた以上は腕を組んで目を閉じるしかないのだ。

もちろん、駕籠かきや馬子は、商売である。緊張感や不安は当然に感じられない。いつもの出立である。馬子は”ござ”あるいは”むしろ”を身体に巻き付けている。「馬子にも衣装」とのことわざがあるが、馬子は昔から惨めな格好だったのではなかろうか。そんなことを感じてしまう。ただ馬子も駕籠かきも顔付きは悪い人ではなく、実直そうである。

歩いている旅人は、荷物の多さから、商人であろう。いでたちから旅慣れた感じもする。箱根越えの長く険しい道のりに備えて、着実に歩を進めている。まるで本人の堅実な商売のように。

広重が馬上の旅人を描く場合、笠で顔を隠していることが多い。以前からなぜだろうかと考えていたが、自分で購入して、何度も眺めていると何となく次の理由かなと思うようになった。

  1. 風景を描く、東海道五十三次の道中を描くことを主眼にしているから、人物に焦点が当たることを避けたのではなかろうか。

  2. この浮世絵を買う人が、自分を東海道五十三次を旅しているように感じさせるために、旅している人物の顔は避けたのか。

もう一つ、私が違和感をいだいたのは、何で、この3組の旅人をごちゃごちゃとまとめて描いたのかという点である。常識的にはもう少し間隔を開けて描くと思うが、これについても、同様に、何度か観ているうちに、次のような理由かなと考えはじめている。広重からは、考えすぎと言われるかもしれないが。

  1. 周り(遠景)をぼやかして、近景に焦点を当てているが、さらにまとめて描くことで焦点を強調したのではなかろうか。

  2. 観ていると、これらの3組の旅人が急いでいる感じがしてくる。逆方向に向かって、霧の中に遠ざかっていく3人の人物とはスピード感が違う。箱根越えの大変さを表現したのであろうか。

3.摺りの違い

保永堂版は、『名所江戸百景』のように、初摺りと後摺りが大きく異なって、「こりゃ、別の絵だよ」と慨嘆するほどの差はない。例えば「雪の蒲原」でも、初摺りは天ぼかしなのに対して、中空からぼかし上げている後摺りを好む人は多い。

「三島」(朝霧)も、初摺りとされている『保永堂版 広重東海道五拾三次』 (鈴木 重三 (著), 大久保 純一 (著), 木村 八重子 (著))に掲載されているものは、下図のように墨色の一文字天ぼかしであるのに対して、私の所蔵品は藍(ヒロシゲブルー)の一文字天ぼかしと差がある。

原画は筆者蔵 『保永堂版 広重東海道五拾三次』 より、原画は
ホノルル・アカデミー・オブ・アーツ蔵

『保永堂版 広重東海道五拾三次』によると、「題名が上端にあり、墨の一文字はできるだけ細く摺る必要があるが、摺っている内に幅が広がり、題名にかかる」ので、藍に変えたのではなかろうかと推測している。(「雪の蒲原」の天ぼかしを変えたのも、同様に題字との関連ではないかと述べている)

私が購入した版は、遠景の旅人の足、三島神社の塀の下部もぼかしている。どちらがいいかは好みだが、ぼかしている方が霧の効果を、より以上に強調していることは間違いがない。

足ぼかし 足くっきり
塀ぼかし 塀くっきり

初摺りとされているものと、私が購入したものを上記のように比較してきたが、題名における赤で「朝霧」と彫った陰刻の印の字を見て欲しい。摺りが遅いと、ここがつぶれて陰刻の白がはっきりしなくなってくる。この点、私のも摺りが早い段階のものであることが理解できる。

筆者蔵 初摺手

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