寺院の屋根の雪

リリアン・メイ・ミラーの木版画−「Snow on Temple Roofs(gray)」−

浮世絵商のカタログに、ちょっと目を惹くものがあり、観にいって、気にいって、買ったものです。

広重の雪景色も素敵ですが、この作者の
雪景色からは日本人の感性とは違ったも
のを感じます。
静かな美しさだけでなく、特に前景の雪に
は、ダイナミックな雪、少し怖い雪、あるい
は肉感的な感じの雪を感じます。
寺院の斜面の屋根に積もった雪、これは
斜面でそぎ落とされた雪、背景の木々に
積もった柔らかな雪、これはふんわりと乗
っている雪、それに前景の地形に応じて
積もった雪、これは寺に入るのを拒むよう
な雪でもあります。
雪の感じの違いを描き分けたかったので
しょうか。新鮮な雪景色です。芸術は独創
です。

 印象派の画家たちを震撼させた浮世絵を自ら学ぼうとした外国人は何人かいます。これらの内、チャールズ・バートレット、ポール・ジャクレー、エリザベス・キース、ヘレン・ハイドなどは眼にしたことはあったのですが、この作者であるリリアン・メイ・ミラーは初めて知りました。(他にエミール・オルニクなどもいる)

アメリカの外交官の娘として明治28年に生まれ、島田墨仙、狩野友信に日本画、特に水墨画を学びました。また浮世絵にも興味を持ち、自ら彫り、摺りを習得しました。日本、朝鮮の風景を描き、昭和16年に日本が真珠湾を攻撃した時はショックを受け、「自分の全作品を処分してくれ」と申し出て、昭和18年に47歳で病気のために逝去。
日本人としてはすまないような感じを持ちます。これからもっと高く評価されるのではないでしょうか。

なお、この絵には、次の異版があり、私が買ったの背景がグレー、こちらはブルー。ブルーの方は空に天ぼかしが入っており、日本の浮世絵の感覚で、そっちが初摺りと思う人もいるでしょうが、自ら版を彫り、自ら摺った人であり、そうではなく、作者が趣向を変えた異版です。(私はグレーの方が暗くて、雰囲気はいいと思うのですが、もちろん人様々でしょう)

「アジアへの眼 外国人の浮世絵師たち」
横浜市立美術館カタログより

初摺りと後摺りではなく異版であるのは、下の雨傘(Rain Blossoms)の作品でもわかります。雨の日の傘、これを雨に咲く花に見立てていて、これもいい作品。今はこのような雨の日に咲く花は、ビニール傘に変化してしまいましたが。

「二つの世界をつなぐ女性浮世絵師
リリアン・メイ・ミラー展」カタログより
同左

なお、リリアン・メイ・ミラーについては1999年に山梨県櫛形町立春仙美術館で「2つの世界をつなぐ女性浮世絵師の生涯 リリアン・メイ・ミラー展」が開催されています。また横浜市立美術館でも「アジアへの眼 外国人の浮世絵師たち」という展覧会が開催され、その一人として紹介されたことがあります。
もちろん本国アメリカの方で高く評価されており、研究も進んでいるようです。櫛形町(現南アルプス市)での展覧会もパシフィック・アジア美術館から作品を借りて実現したようです。

春仙美術館のカタログにおけるケンダール H.ブラウン氏の解説によると、1920年に書いた水墨画「韓国宮廷の庭」が帝展(文部省美術展覧会の文展が帝国美術院主催に変更)で特賞を受賞し、この頃より彫師松本、摺師西村熊吉に習って木版画をはじめたそうです。同時に作詩も試みているようです。1923年に関東大震災にあい、東京のアトリエが大きな被害を受けて、そのショックで歩行困難になって3年間療養するという悲劇も経験しています。

日本の新版画の作者は彫りや摺りをそれぞれ彫師や摺師にまかせていますが、ミラーは木版画の全工程を自分で実施しております。

1931年には雑誌「アジア」で「東西の境界線を越えた三人の芸術家」として藤田嗣治、イサム・ノグチとともに紹介されたそうですが、1935年にガンの摘出手術を受け、1936年の2.26事件後にホノルルに移りました。1941年、日本が真珠湾攻撃を行った時は前述したように、非常なショックを受け、その後1943年47歳で逝去という生涯でした。