とてつもないスケール「深川洲崎十万坪」

伊藤 三平

これは広重の『名所江戸百景』の中でも傑作として、役物とされている「深川洲崎十万坪」である。

(注)役物とは、シリーズの中で特に人気が高い絵を言う浮世絵業界の言葉で、たとえば保永堂版東海道五十三次では雪の「蒲原」や雨の「庄野」がそうである。『名所江戸百景』の中では、この「深川洲崎十万坪」と「大はしあたけの夕立」「王子装束えのき大晦日の狐火」が三役とされてきたが、今は「両国花火」のように同様に高いものが出現している。
そのように人気が高いこの絵は、初摺りで保存もよいものであれば、900万円以上するものであり、とても手が出ない。とりあえず手に入れたのは保存が悪いものの、初摺りに近い色合いのものである。(他の浮世絵を購入するために売却)

原画は筆者の旧蔵

1.スケールの大きさー宇宙からの視座ー

描いている場所の深川洲崎十万坪は、元は塵芥で埋められた当時の江戸の埋め立て地である。そこでは鋳銭場として貨幣が作られていたこともある。この当時は一橋家の管理地になっていたりしていた。今は木場の東京都現代美術館の近辺である。

大きな絵である。雄大な絵とも言える。。『名所江戸百景』の集中一のスケールで、江戸を描いている。
『名所江戸百景』では近景と遠景の組み合わせが多いが、この絵はその範疇を超えている。天上界と下界の組み合わせみたいだ。
そして天上界から下界を見ているからスケールが大きいのだ。

北斎の神奈川沖浪裏は「ビッグウェーブ」として名高く、サーファー・ショップのディスプレイに使われているのを見たことがあるが、この絵などは、ハンググライダーやスカイダイビングを愛好する人に好まれるのではなかろうか。

『名所江戸百景』の中には、このHPの中でも紹介しているが「水道橋駿河台」のように高い視座からの絵も多い。だけど、この絵は桁が違う。下界の深川洲崎十万坪を描く視点の高さは、確かに『名所江戸百景』の中でも群を抜いている。

人間が将来、空を飛ぶようになるのを広重は予見しているのかもしれない。いや人間が宇宙に飛び出すことまで予見しているんだ。

2.スケールの大きさー舞う大鷲の包容力ー

この絵における視座の高さを指摘したが、冷静に観ると、下に掲示した「南品川鮫洲海岸」などの視点とそれほどは大差がない。それなのに、天上界を感じさせるほどの視点の高さを意識させるのは、近景に大きく描かれた鷲のためなのである。

「南品川鮫洲海岸」

我々には、大鷲が舞っているところは「高い所」という意識がある。観る人間の既存意識によって広重の術中にはまってしまうのだ。このような手を使う広重が優れているということだ。

この大鷲の右の翼が少し下の方に伸びているが、これが江戸、深川洲崎十万坪を包みこむように感じさせる点にもスケールの大きさというか、大きな包容力を感じる。羽を大きく広げた鳥の羽を左右対称にせずに、少し右の方を傾ける描き方は刀装具の鐔における舞鶴の図などでも見たことがある。江戸時代には別に珍しい手法ではなかったのだろう。
だけど、この絵では、その効果が抜群に発揮されている。

この鷲は下界を睥睨している。雪の日に、江戸湾の上空で何をしているのだろうか。海に浮かんだ桶を狙っているように見える。一説によると、この桶は棺桶だと言われている。

でも、この鷲は、桶を狙って急降下しようとしているとは思えない。

私は、深川洲崎の空を巡回しているように思える。その過程で一つの桶を目に留めただけではなかろうか。巡回と書いたが、江戸の洲崎の治安を守ろうとしているような感じである。鷲の右側の翼が、包みこむような感じを与えるのだ。

3.スケールの大きさー雪で清め、消し去った十万坪の描き方ー

そして下界の十万坪の広いことはどうだ。筑波山までが、十万坪であるかのように錯覚してしまう。

そして、この十万坪は、見事なくらいに何も無い。殺風景な埋め立て地である。そこに雪を降らせて白一色に染め上げることで、この広さを強調している。よけいなものが目に入らないのだ。これも広重の手なのだ。そして、この広さもスケールの大きさを強めている。

殺風景と言うが、描かれた時には、殺風景な埋め立て地こそ、その後の江戸の繁栄を続かせる基礎。広重は、この地が人家で埋まり、更に沖合に埋め立てられるのが見えていたのかもしれない。

4.対比のおもしろさ

スケールを大きく描いたからと言って、観る人を感動させるものではない。広重は、この絵に我々に「驚き」を与える仕組みを無意識に内蔵させている。

近景と遠景というより、むしろ「天上界」と「下界」に思える対比の妙は前述した。

この天上界の鷲は、力強い。
下界の埋め立て地と違って、精密に生々しく描かれている。初摺りだと、鷲の羽に雲母摺り、鷲の嘴に銀の粉、鷲の爪は膠摺りとして、墨に膠をまぜて光沢をだしているそうだ。いかにこの鷲を生々しく見せることに注力しているかが理解できる。これが一つのポイントだと思う。

生々しく細密な鷲と、浮世絵の名所絵らしく筆を省いて大づかみに描いた深川洲崎十万坪。この「細密」と「省筆」の筆法の対比も意識したのだと思う。細かく見えるものは近く見え、一方、大ざっぱに見えるのは遠くである。これで奥行きの広さ=天と地の距離感をさらに強調している。

また、この大鷲の神々しさはどうだ。鳥の王者の風格だ。一方、下界は、雪で清められているけれど塵芥でできた地上だ。この落差も大きく、我々を驚かす。当時の人は当然、深川洲崎十万坪が塵芥でできていたのを知っていた。
「神々しさ」と「汚れ」は人間世界の本質でもある。

また、この絵では雪が地上に向けて、ゆっくりとひらひらと降り落ちていくのが描かれている。天上界と下界だから、雪の降下速度はゆったりと感じられる。
一方、この大鷲はゆったりと舞っているが、我々はゆったりと天空を舞っている猛禽類の急降下を知っている。冬の深々と雪降る日の時間を「雪の降下速度」に託し、一方で「鷲の降下速度」を常に意識させて、この絵に緊張感をもたらしている。

そう、この絵には緊張感もみなぎっているのだ。無意識に広重は幕末動乱を感じているのではなかろうか。

「天上界」と「下界」
「細密」と「省筆」
「雪の降下速度」と「鷲の降下・飛翔速度」
「神々しい天空の鷲」と「塵芥でできた地上」

このような対比が観る人の心に驚きを与える。広重は大した画家である。

5.安政4年閏5月の心境

浮世絵は検閲を受けており、その検閲を受けた年を、印によって版木に摺っている。浮世絵の出版された時期によって違いがあるが、この頃は「改印」と「年月印」が印刷されている。
(『名所江戸百景』ではマージン部の上部や横に印刷されている)

「深川洲崎十万坪」の改印は下にあるように、安政4年閏5月である。

上:改印、中:安政4年閏5月年月印(巳年)
下;版元印

『名所江戸百景』の各絵を改印順に並べてみると面白いことに気がつく。
安政4年閏5月の改印の絵は、この「深川洲崎十万坪」に、次の4枚を加えた5枚である。
私の数少ない所蔵品の3枚が安政4年閏5月なのである。まだ手に入っていない「堀切の花菖蒲」と「箕輪金杉三河しま」も魅力を感じる絵であり、この時期の広重の感性には惹かれるものがある。

私自身の個人的な話はともかくとして、私が面白いと思ったのは、『名所江戸百景』の中で、近景の生物の羽や鱗を細かくリアルに描いたのが、この安政4年閏5月に集中していることである。花菖蒲もまるでボタニカルアート(正確な植物画)ではないか。
鯉のぼりまでリアルに描いてしまい、まるで生きている鯉が泳いでいるように描いたのはご愛敬であるが、この時期、広重に何か心境の変化があったと考えたい。

両ごく回向院元柳橋 堀切の花菖蒲 箕輪金杉三河しま 水道橋駿河台

6.摺りの違い

最後に、初摺りから、擂りの違いを観てみたい。さらに後摺りになると、空の色がもっと濃い青になってくる。

『広重 名所江戸百景』よりブル
ックリン美術館蔵(初摺り)
筆者の旧蔵 関防(色紙)が赤になっている。

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