雪の境内へいざなわれる「浅草金竜山」

伊藤 三平

『名所江戸百景』の中でも有名な1枚「浅草金竜山」である。少し紙に焼けがあるが、初摺りの作品である。

原画は筆者蔵

1.画中に入り込める気分

大きな近景は雷門であり、遠景に境内の参詣人や本堂や五重塔などが描かれている。名所江戸百景シリーズらしい近景を大きく取った構図である。その近景も大きな提灯を右側にずらして上半分と右の一部を欠いて描いている。また、左端も門の柱だけを描くということで、眼を不安定にして驚かしている。言い換えると現実感を出しているのだ。絵空事だと真ん中かもしれないが、実際の世界は、こんなものだ。

この現実感のせいなのか、観ているうちに、自分が雷門に入りこんでいるような気分になる。鑑賞者が画中に入り込めるような作品を描くというのは大変なことだと思う。広重は天才だ。

さて、これから雪の中を参拝だ。自分の眼の前には参詣人がいない。他の参詣人はどういうわけか両脇にいるから、大きな参拝路が開いているのだ。ここに引き込まれる。ともかく眼の前が大きく開いているのだ。参拝しようという気分が否応なく生まれてくる。

この参詣人を両脇に描き、三角形の真ん中に吸い込まれるように描いているのは、広重の遠近法の一つと思うが、境内の広さと奥行きがよくわかる。

2.初摺りの技法

上記の写真では判別できないと思うが、初摺りでは、この雪の部分に「空摺り(からずり)」(注1)がほどこしてある。具体的に言うと、地面に何と参詣人の足跡が、凹んでいるのだ。お寺の屋根の雪にも丸く点々が空摺りしてある。そして境内の木々も、枝の形に「きめだし」(注2)をほどこしているのだ。

(注1)「空摺り(からずり)」は版木を彫って、絵具をつけずに摺り、凹線で図を表現する技法。
(注2)「きめだし」は輪郭を裏から押すことで、輪郭内に立体感を出す技法。

そしてかすかな「雲母摺り(きらずり)」(注3)が雷門の下の敷石にほどこされている。

(注3)「雲母摺り(きらずり)」は塗料に雲母を撒いた摺りの技法。

また提灯の黒も、何かぬめっとした黒である。技法に「正面摺り」(あるいは「つや摺り」)という)があるそうで、それは刷り上がったものの艶をだしたい部分を彫った版木にを乗せ、上から陶磁器などでこする技法とのことだが、そのような技法を使っていると思えるように艶が出ている。(他に「漆絵」という技法もあり、それは墨に膠(にかわ)を混ぜて艶を出す方法とのこと。この作品にどういうのが使われているのか、残念ながら私にはわからない)

観ていると「よくここまでやるよなぁ」という感じがしてくる。

技法ではないが、後摺りとは色も違う。以下は後摺りの一例である。もちろん後摺りは1度や2度だけに限らないから、その分、色々な段階のものがあるので、簡単には言えないが、次のようなところが違う。

後摺りの一例
  1. 提灯の色が赤ではなく、丹(鉛が含まれている橙色)である。鉛のせいで現存しているものは黒ずんでいるのが多い。

  2. 背景の空の色が灰色あるは水灰色の一色でボカシもない。(初摺りは地面の雪にも幽かなボカシが入り、空も天ボカシの下の薄い水色もボカシている)

  3. 初摺りは、「名所江戸百景」「広重画」の短冊に、赤を2度かけて印刷しているが、後摺りになると一度だけ。

3.めでたさ

この絵、特に初摺りのものは、提灯や雷門の赤と、雪の白でめでたい感じである。たまたま私が還暦の時に購入したから、そんな印象を持つのかと思ったが、ヘンリー・スミスも『広重 名所江戸百景』において、「「冬」の部(注4)が始まる。新しい季節の始まりには、これまで同様明るい色が選ばれた。おめでたい紅白の色調は、まさに吉祥のために用意されたものである。」と書き出し、雷門の紅と雪の白の対照的な色使いが、おめでたさを感じさせると指摘している。

(注4)名所江戸百景シリーズは、刊行順とは別に春夏秋冬の4部門に分類されて目録が作られた。春の一番は「日本橋雪晴れ」、夏は「日本橋江戸ばし」、秋は「市中繁栄七夕祭」となっている。

原信田実著の『謎解き 広重「江戸百」』によると、「名所江戸百景」(安政3年から順次刊行)は安政の大地震(安政2年)の後の江戸の復興を伝えるということにも留意したシリーズとしている。
浅草寺も安政大地震で五重塔の九輪が曲がってしまったが、この修繕が完了したのを祝う意味が「浅草金竜山」の絵にはあると書かれている。

その根拠として、この本では刊行時の季節(絵に押された改印)と絵柄の季節の違い(具体的には、雪の絵にもかかわらず、改印は安政3年7月で、五重塔の九輪が修復されたのは2ヶ月前の5月)から著者の推論を進めている。

原信田氏の著作は、「名所江戸百景」の絵は、上記のようなことや、広重を取り巻く狂歌仲間などへのメッセージも含めていると、同時代の史料なども参考にして論を展開していて興味深い。


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